腕時計 2009.09.17
普段からその存在が不思議に感じられるものの一つに腕時計がある。私は持たなくなって久しい。その理由はいくつかある。まず、腕にするのがとても邪魔に感じるからだ。夏は手首に汗をかくし、長袖を着たときに手首にあるのがうっとうしい。いまどき、時計なんてどこにでもあるから、自分で持たなくても何にも問題ない。いざとなれば人に訊けば良い。
でも一般の人は腕時計にお金をかけることが多いようだ。有名なメーカーの高い腕時計をしている人もいるし、いまもそうかもしれないが、スウォッチが流行った時代もあった。時計はおしゃれのためにするものなのかもしれないが、私は時刻がわかれば良いと思っている。最近は携帯電話が時計代わりという人もいると思う。私もその一人だ。時刻を確認するためだけなら、時計は身の回りにたくさんある。
そう考えたら、そもそも時計なんて一人一人身につける必要があるものだろうか。太陽の動きやろうそくが燃える長さで時間を計っていた頃の話なら時計の有り難味を理解できるが、いまや目の前にあるPCにだって時計が付いている時代だ。ラジオを聴いていれば、毎時を知らせしてくれる。時刻を知るために誰もが腕時計をしていることは何だか奇妙だ。
もちろんいろんな場面があって、相手に気づかれず、適度な頃合を計りたいということもあるだろう。田舎にいけば、外で時計を見つけるのは至難の業だ。だから腕時計をすべて否定しているわけではないが、時計を常に腕につけて持ち歩くというのは、何か特別な職業の人だけでも良いのではないかと勝手に思っている。警察官とか探偵とかかな(笑)。
就職したての頃、時計を持っていないことをある人にたしなめられたことがあった。「お客さんのところに行くのに遅刻したらどうするの」と、やや厳しい口調で訊いてきたが、私は遅刻をしたことは一度もなかった。駅には必ず時計があるし、時計を持ってない方が早めに行動できるからだ。その人は始業開始時刻よりも数分遅れて出社することが多かったように思う。私はそのたびに腕時計を持つ意味を考えるのだった。
2010年1月6日:加筆訂正