北の発想 – 南の発想 2009.11.14
日本建築家協会/JIAが主催する勉強会に参加した。話し手はスイス在住で環境ジャーナリストとして活躍している滝川薫(かおり)さんである。最近、「サスティナブル・スイス」という本を出版されたばかりで、今回の来日に合わせて、各地で講演をされている。お聞きした詳しい内容については割愛するが、スイスの現状をわかりやすく解説頂き、とても勉強になった。
滝川さんの講演のあと、神戸芸術工科大学の教授である小玉祐一郎先生が話をされた。小玉先生と知り合ったのは、もう20年近く前になる。建築学会で開催される勉強会や、いろいろな活動の中で、何度もお会いしていたが、私はドイツへ行き、小玉先生は神戸に移られたため、最近では、お目にかかる機会がめっきり減っていた。
小玉先生の話は、私がずっと感じていたわだかまりのようなものを解き解いてくれる、とても柔らかな内容だった。それはドイツで言うところの寒冷地型のパッシブハウスと、開放系を基本とする南方系のパッシブ建築との溝を、ある意味において明快に示唆するものであった。
まず、建築には大まかに分けて二つの原型があるという。一つは「遮断型」で、もう一つは「選択型」である。
前者の遮断型は寒冷地の発想であり、進化の方向が比較的明快であると位置づけられる。例えば、断熱性や気密性を高め、高効率の機器を導入し、再生エネルギーを積極的に利用するというのは、技術的な進歩が明確に表せることが多いから、確かにそうかもしれない。しかしながら、開放的な建築は北欧の人たちの憧れでもあったからこそ、透明感の溢れるガラス建築がドイツなどで発展してきたといえる。
それに対し、選択型というのは開いた系にあてはまる。その建築は解析が難しく、ときに時代遅れとみなされ、そして開き続けることへの根強いこだわりがあるという。いま日本で、ドイツのパッシブ建築が取沙汰されているが、それに対して懐疑的な人は、おそらく開放系こそが日本の建築に必要だと思っているからだろう。もちろんその意見もよくわかる。
小玉先生は、この二つを「北の発想と南の発想の対峙」と位置づけつつ、これから必要なのは「北の発想+南の発想」ではないかと言う。あるいは「北の発想×南の発想」かもしれない。そこでバリのリゾートホテルの写真を見せてくれた。屋根は日本の藁葺き屋根のように分厚いが、その下には外気に触れられる開放型のバルコニーと、空調が利いている閉じた二つの空間が存在し、非常に良くまとまっている。
閉鎖系と開放家が一つの建物の中に混在するこの事例は、まさに北の発想と南の発想の融合だと思う。日本の伝統的建築も、おそらくこの両方を持っているのではないだろうか。例えば縁側というのは外界との緩衝空間として機能する素晴らしい空間である。日本の建築は、単に縁側を閉じても気密が十分に保てるだけの性能は持っていなかったのだが、いまはそれをやろうと思えば可能である。
我々日本人は心のどこかに、木造の純和風の建築に憧れる部分が少なくともあるだろう。もちろん私も同じだが、だからといって、新しく建てられる伝統的建築の断熱性や気密性が軽視されて良いとは言えないように思う。ましてや一般の住宅ではどうだろうか。日本の住宅における断熱と気密の(過度な)進化に対して抵抗感のある方は、この辺が納得いかないのかもしれない。
小玉先生は、「環境と交感する建築」についても語ってくれた。建築と環境との交感度を高めることで、建物の内外とのつながりを意識した正の循環が生まれるという。例えば、立体的な緑化をすることによって微気候が生まれ、そこの環境的な潜在性が高まると窓を開けることにつながる、といった良い方向への新しい流れの形成である。
そう考えると、日本の気候にふさわしい建築というのは、やはり必要に応じて閉じたり開いたりすることのできる機能が求められるようにも思う。それはとても難しい課題し、だからこそ取り組み甲斐があるのだろう。閉じることを基本とするドイツのパッシブハウスと、開くことを考えたパッシブ建築は、互いに対峙するものではなく、補完し合う関係といえるかもしれない。何だかそんな風に思えてきた。
「多様性の排除は持続可能性を損ねる」と小玉先生は言う。つまり、閉じる視点と開く視点に立った二つの技術の融合は、むしろこれからの日本の建築に、さらに多様性を持たせる可能性がある。何となくそんなことを気づかせてくれる充実した勉強会だった。
加筆訂正:2010年2月5日/小玉先生の名前を間違えていました。失礼しました。