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還流独歩

家族旅行 2009.11.19

1999年の5月、一年間滞在したドイツを離れる時期が近づいていた。そのとき、両親と弟、そして彼の婚約者がドイツに遊びに来ることになった。それは、家族との海外旅行というのが、いかに面倒で、身内の嫌な面がよく見えるということを初めて体験したときでもあった。

肝心の旅行のことは、あまりよく覚えていないのだが、確か9日間くらい、一緒に旅行していたのではないかと思う。レンタカーを借りて、南ドイツを中心に、ドイツの有名な観光地をたくさん回った。フランスとオーストリアにも少しだけ入った記憶がある。

いろんなところを見せてあげたいと思う気持ちが強いから、少々無理な行程を組んだ。ドイツのことは何もかも知っているわけではなかったが、家族との旅行は天候にも恵まれて予定通り進んで行った。

問題は海外旅行を初めて体験する両親への対応だった。父とは特に問題は生じなかったが、母とは何度も衝突した。いま考えると、実にたわいもないことだったのだが、旅行を案内する側の自分としては、あまり気持ちに余裕がなかったのだろう。それにしても、家族との旅行が、こんなに疲れる物だとは思わなかった(笑)。しかも言葉が通じない外国ならなおさらである。

最後の宿泊地は、フランクフルトから東に80kmほど離れたミルテンベルクという街にした。中世の街並が残る本当に小さな観光地である。そこにある民宿のようなところに泊まった。駐車場は幹線道路を隔てた反対側に位置している。幸いにも道路沿いの駐車場が空いていたので、重い荷物を下し、反対側の民宿に移動しようとしたのだが、その道路は交通量が微妙に多く、渡るのは難しい状況であった。

僕らは大きなスーツケースを持ちながら、渡れる機会を探っていたのだが、わずか6-7mの幅の道路の反対側は、近くて遠い国境のようでもあった。荷物さえなければ、車の合間を縫って行けそうなのだが、5人いっぺんには、渡るに渡れない状況がしばく続いていた。私はどうすることもできず、その光景を何となくぼんやりと眺め続けていた。

車の流れが切れないので、かなり先の信号まで行った方が良さそうだというようなことを言い始めたとき、右側から来た車が私たち家族の前で、突然ピタッと止まってくれた。でも反対側の車も止まってくれないと渡れないので、どうしようかと戸惑っていたら、左から来た反対車線の車も申し合わせたように我々の前で停止してくれたのである。僕らはほんの少しの交通渋滞を起こしながら、とても優しい人たちのお陰で、駐車場から反対側の宿に渡ることができたのである。

無事部屋に入った僕は泣いた。家族との旅行に疲れていたこともあるだろう。一年間のドイツでの滞在も終わりを迎えて、いろんな思いが交錯したというのもあっただろう。家族を渡らせてくれた優しさと嬉しさと疲れが入り交じって、溢れる涙を抑え切ることができなかった。僕たちのようなアジアから来た家族が大きな荷物を持って道端で立ち往生しているのを見て、右から来た車も、その反対側の車も寸分違わず止まってくれたその優しさに僕は感激して、ドイツがもっと好きになった。そして、この国をさらに知りたいとも思った。

そんなことを言うと、ドイツだけでなく、フランスでも、スペインでも、オランダでも、アフリカでも、南米でも、アジアでも、歩行者には親切な国は多いと指摘する人がいるかもしれない。でも私にとって、そんな優しさを初めて体験できたのはドイツだった。それだけのことである。

こんな話は、聞く人にとって実に他愛もないことかもしれないが、私には絶対に忘れられない大きな出来事になった。右側から来た車と、左側から来た車が呼吸を合わせるかのように私の家族の前で止まってくれたその光景を想い出すとき、ドイツの人の大きな優しさに対する感謝の気持ちが湧いてくる。そして、そんな余裕を自分も持ち続けたいと思うたびに、心の奥と目頭がいつも熱くなるのである。

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