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還流独歩

突然の訪問客 2009.11.23

午後、事務所の電話が鳴った。受話器を取るが、かけてきた方の反応が遅い。たどたどしい声で私の名前を訊いてきた。日本人の発音ではなかったので、反射的にドイツ語で聞き返したら、懐かしい声が聞こえて来た。「なんだ、ヘンリックか。久しぶり」。電話の雰囲気から、なんとなく近くにいる感じがしたので、「もしかして東京駅?」と冗談半分に訊くと、有楽町にいるという(笑)。昨日、ストックホルムから東京に着いたらしい。

彼はいつもそうだ。4年近く前、ケルンで会ったときも、事前の連絡がほとんどないままやって来た。そのときは彼の妹も一緒だったから、確か数日前くらいには連絡を入れてくれた気もするが、その前の1999年の春に、私が南ドイツからケルンに引っ越したときも彼は突然現れた。そして今回は東京だ。私の携帯に電話したが、つながらなかったので、事務所にかけてみたという。相変わらず突発的な行動だが、それも憎めない。

ヘンリックと初めて会ったのは1998年の秋だった。もう11年も前のことになる。当時、私はドイツの田舎町で、半年ほどドイツ語を習いながら、次の可能性を探っていた頃である。彼とは二か月ほど同じクラスでドイツ語を一緒に学んだ。そのときスウェーデンからは、他にも5-6人ほど来ていた。語学学校にはいろいろな国の人が来ていた。日本人が多いのは、もちろんだが、秋からはスウェーデンからの若者が目立った。

彼らはとても親切で優しかった。自分の意思をしっかり持ちつつ、何となく遠慮がちの面もあって、とても付き合いやすかった。だから互いに仲良くなるにも時間はかからなかった。11年も前のことだが、知り合った彼らの名前はほとんど想い出せる。その中の一人がヘンリックだ。背の高さが印象的だったが、いつも控えめで、優しい雰囲気を出していた。あとから訊いてわかったのだが、出会ったとき、彼は若干18歳だった。11年経ってもまだ20代だという。愕然(笑)。

今日は勤労感謝の日で祝日だが、終わらせておきたい作業はたくさんある。電話を突然かけて来たヘンリックに、ちょっと戸惑ったが、スウェーデンからの突然の来客に会わないわけにはいかないだろう。今週のいつが良いかなどと考えるくらいだったら、今日が一番に決まっている。ただ夕方まで少し作業をしたいので、できれば事務所まで来て欲しいと伝えると、17時くらいに来てくれるという。彼は日本に留学していたこともあるから、ある程度は日本語もできるし、地下鉄も問題ない。

ヘンリックは男性だが、久しぶりに会うとなると、やっぱり少し落ち着かない(笑)。今日は祝日だから、茅場町周辺の飲食店は、ほとんどが休みだ。夕食も兼ねてどこかに飲みに行くことになるだろうから、作業をしつつ、どこへ行ったら良いかを考えたりしているうちに約束の時間はすぐやって来た。17時前、彼から電話があり、1番出口にいるという。1分で迎えに行くと伝えて外に出ると、いつもの角に背の高い彼が立っていた。

久しぶりに会うといっても話すことは他愛もないことばかりだ。ドイツ語と日本語を交えながら、互いの近況報告や、ドイツの田舎町で出会った頃の話が交錯しつつ会話が進んで行く。ヘンリックと一緒にいても何にも疲れない、実に気のおけない奴だ。多分、彼も同じ感じを私に抱いてくれているに違いない。だからこそいまでも連絡をくれるのだろう。

飲みに行く場所をいろいろ考えた末、新橋方面に行くことにした。最初は汐留で現代的な東京を感じ、締めは新橋か銀座で昭和を感じるという路線にする。東銀座から歩いて、汐留に林立する高層建築群の方へ向かい、そのあたりのお店で軽く食事をしながら飲む。お腹もいい感じに満たされたので、新橋を少し散歩しながら二次会の場所を探すが、休日は何となくどこも活気がない。結局、銀座まで歩いて、焼き鳥屋で飲み直すことにした。

彼もビールが好きだというので、二人でずっとビールを飲み続けながら、いろんな話をした。たくさん話しをし過ぎて、あまりよく覚えていない。まあそんなものだろう。気がつくと23時近くになっていた。会計の時間も来たので、お店を出る。一軒目は私が支払った。二軒目は私がお手洗いに行っている間に彼が会計を済ませてくれていた。感謝。

彼は三ノ輪にある格安の素泊まり旅館に泊まっているという。一泊2,700円。三ノ輪には、そんな宿泊施設が多い。一緒に日比谷線に乗って、最後は茅場町の駅で別れた。今度は、ケルンか、ストックホルムか、あるいはまた東京で会おうと約束した。祝日に終わらせようと思っていた作業ははかどらなかったけど、突然の嬉しい再会だった。

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