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鳥が来るバルコニーと数値評価 2010.01.24

バルコニーに枯れた鉢植えが置いてある。そこに牛乳をかけて食べる穀物を播いた。ドイツ語でMüsli/ミューズリーというやつだ。穀類の他にもレーズンやバナナの切れ端なども入っている。シリアルといった方がわかりやすいだろう。なぜ播いたかというと、鳥をおびき寄せるためである。といっても捕まえるわけではない。野鳥観察(笑)。

家の周辺を飛んでいる鳥が、たまにバルコニーの手すりに止まりに来る。それを見るのが好きなので、餌でも播いといてあげようという親切心からだ。鳥を見るのが好きになるなんて精神的に疲れているのかもしれない。野鳥愛好家の皆さん、すみません。でも鳥って凄いと思う。手がいつの間にか羽に進化して、空を飛べるようになったんだから(多分)。

そんな鳥さんを観察しようと餌を播いたら、小さな鳥がひっきりなしに来る。冬だし、雪も降ったので、餌が不足しているというのもあるはずだ。昼間は外の方が明るいので、窓ガラスで隔てられているといっても、部屋の中にいる私のことは見えないようだ。PCに向かいつつ、身体を動かしても、手を急にあげても逃げて行かない。

小さな鳥というのは、餌を食べているときも常に周囲を警戒している。ひたすら食べ続けるということがない。少しついばんだかと思うと、すぐにあたりを見回し、少し動いては、また餌をついばむことを繰り返している。平衡を保つために、尾を上下させたり、バルコニーの柵でくちばしを奇麗にしたりする姿を見るのは楽しい。

そこで、急に真面目な話になるのだが、鳥が来るバルコニーの良さというのは数値では評価できないと思う。なぜそんなことを言うかというと、建築の分野でも数値評価にこだわる人がいるからだ。例えば、屋上緑化をしたら、その断熱効果によって冷房負荷がどれくらい削減でき、冷房費がどれくらい減らせて、投資したお金は何年で回収できるのかといったことを真剣に検討させ(たが)る人がいる。

こんなことを言うのは甚だ失礼だが、最近、そんなことはあまり意味がないのではないかと思うようになった。もちろん熱貫流率くらいは簡単に計算できるし、きちんと計算すれば、断熱の効果だって数値で比較できるかもしれない。でも、何かが違うと思う。それは私の直感でしか語れないのだが、数値評価だけ見ていると、何か本質的なことを見失いがちになるのではないかと思う。

私の部屋には、たまたまバルコニーが付いているが、それは大家さんが判断して設置しただけのことである。そこには、バルコニーがあればこの部屋の価値が上がり、家賃を少しでも高く設定できるという思惑があったに違いない。それは金銭による数値評価だ。でも、そこに鳥がやって来て、それを見ることで心が癒されることなど、数値でどう評価できようか。大家さんは、そんなことは考えていなかったはずだ。

私は数値評価を批判しているわけではない。私自身も、シミュレーションによる解析を行ったことは何度もある。それは非常に重要なことだし、意義のあることだと思う。その一方で、数値結果だけでは見えてこない「別の何か」にも意識を向けるべきではないだろうか。確かに数値評価も大切だが、建築というのは数値だけで価値が決まるわけではないはずだ。

屋上緑化されている向かいの建物の屋根には、ひっきりなしに鳥がやって来る。朝になれば鳥のさえずりで目が覚めることもある。虫をついばむ鳥を見ながら一杯の紅茶を飲み、部屋の空気を入れ替える。それはほんの些細なことだけれども、私にとっては、気分転換になったり、心を落ち着かせることができる貴重な時間である。

向かいの建物を建てた人が、何のために屋上緑化をしたのかは私にはわからない。もしかしたら断熱のことを考えていたのかもしれないし、維持管理を考慮したのかもしれない。私が屋上緑化から間接的に精神的な恩恵を受けていることなど、建築主は知る由もないだろうし、そんなことは気にも留めていないはずだ。

自分でも言いたいことが何かわからなくなってきたが(苦笑)、要は数値評価で表せる価値と、数値評価では表せない価値の両方に目を向けることが、建築にも求められるのではないかということである。長くて、まとまりのない文章を格好良くまとめようと思ったら、こんな感じの終わり方になってしまいました。
 
加筆訂正:2010年2月3日(水)/2010年7月9日(金)

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