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環流独歩の行方 その2 2010.02.18

長期に亘るドイツでの生活を続ける中で、久しぶりに日本へ戻って来た6、7年前の頃のことである。学生時代から東京での生活を始めた私は、会社を離れてドイツに行くまでの13年近く、世田谷と目黒に住んでいた。だから何年か振りに大都会に戻って来ても、特に違和感を感じることはなかった。もちろん人の多さには疲れてしまったが、エスカレータの立つ位置や電車の進行方向が逆というのも、数日経てばすぐに慣れてしまった。

その中で特に実感したことは、国や社会の違い、あるいは日本の生活や慣習の差に戸惑うということではなく、むしろ自分がドイツで体験し、そこから感じ取って来たものが、東京という街が持つ時間の流れの早さとともに、何か急速に失われて行くような感覚であった。ドイツで体験した「何か」というものが何なのかというのは自分でも良くわからないのだが、それが東京という巨大都市の喧噪の中に吸い取られて行くような感じがしたのである。

その「失われて行きそうに感じた何か」というのは、ドイツで得た知識でも情報でもない。むしろ、いろいろなところで体験した日本との微妙な差異(ニュアンス)のようなものである。それはドイツにいるからこそ私の身体や頭のどこかに保たれていた何かであり、でも自分でははっきりとは認識できない朧(おぼろ)げな何かでもあった。それに対して、五感を通じて強く感じたことというのは、私の身体の奥底にまで染み付いて、東京に戻って来たとしても、その根幹の部分はそう簡単には消え去りそうもないとも感じた。

その根底に築かれたものと、消えてなくなってしまいそうな何かをつなぎ止めたいという思いが強くなった頃から、それらを文章にして残すことが大切に思えるようになった。幸いにもこれまで、何度もそういった機会を頂くことができたし、可能であれば、これからもそうして行きたいと思っている。そして最近はドイツと日本を往復することが多いから、むしろ両方で感じることを素直に書き続けて行くべきなのではないかという気持ちが大きくなってきた。

そういえば昔、エッセイのようなものをいつか書きたいと思っていたことを想い出した。紙媒体のきちんとしたものでなくとも、いまはこうやって簡単に公開できる時代になったのだから、素直にそれを使って、いろいろなことを書き綴れば良いのだろう。そう思ったら気持ちが少しだけ軽くなった。でも、毎日書き続けることにも少なからず抵抗があるし、もしかしたら突然止めてしまうかもしれないけれど、書きたいことは山ほどあるから、試行錯誤をしながら、最低でも1年は続けてみたいと思っている。

宜しければ、これからもお付き合い頂けると幸いです。

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