理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

暖房便座 2010.02.28

昨年に引き続き、大学の先輩が主宰する事務所が手がけた住宅の温熱環境体験会に参加させて頂いた。その中で、ドイツの視点で何か気がついたことを話して欲しいと言われたので、日本の冷暖房方法は、空気を暖めたり冷やしたりする対流型が主流だが、これからは放射を利用した温熱環境の快適性も大切になるのではないか、ということを簡単に伝えさせて頂いた。

その一方で、建物に付随する暖房設備ではなく、採暖機器と呼べるものも、いまだに数多く存在する。その代表例が火燵(こたつ)だろう。最近はあまり見かけない気もするが、これは室内の空気を暖房するのではなく、身体の一部を温めるものであるから、まさに採暖機器の一つだ。他には電気ストーブや電気カーペットなども挙げられるが、いずれも室内を十分に暖めることはできない。

その中でも究極な採暖機器が暖房便座だと思う。お手洗いに入ったときに、お尻だけを温めるということに特化したこの機能は、まさに最小の局所採暖設備だ。暖房便座のお陰で、お手洗いがほんのり暖かいという経験をしたこともあるから、暖房器としての役割を持っているといえなくもないが、誰もいないお手洗いで、ずっと便座を温めているという無駄な姿は滑稽にさえ思える。

いや、普通に考えれば、お手洗いが寒いから、その代替案として便座を温めるという発想自体は正しいのかもしれない。でもそこには、本質を追究せず、根本的な解決を提案することから目を背け続けてきた日本の住宅が持つ重大な問題が隠されているように思う。だから暖房便座に責任はない。追求されるべき相手は、寒いお手洗いを提供してしまう住宅の方である。

暖房便座がなくても、寒くはないお手洗いを実現するためには、それなりの断熱が必要になる。建設費の問題もあるし、古い住宅を改修するのも簡単ではないことくらいは、私もわかっているつもりだ。でもやっぱり何かおかしいと思う。こんなに豊かな国なのに、住空間の快適性をなぜもっと追求しないのだろうか。住むところにはお金をかけず、後付けの安い設備機器で対処してばかりいる。

極論かもしれないけれど、おそらく家は30年で壊すという前提が背景にあるからではないだろうか。長持ちしない家に建築的な高性能は不要である。安く造り、世代が変わって古くさいデザインになったら、壊してまた建てる。まさに車や家電製品を買い替えるかのように消費を続けて行く。

そんな現実を見ると、もしかしたら日本はこのままで良いのかもしれない、とさえ思う。でも、採暖式の暖房機器を見るたび、日本はやっぱり温熱環境的には貧しい国のようにも感じられるのである。そして、その原因は一体どこにあるのだろうか、という堂々巡りの問いかけをしてしまうのだった。

加筆訂正:2011年6月23日(木)

« »