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恐縮の珈琲 2010.03.02

今日の標題は、「恐怖の」ではなく「恐縮の」珈琲である。というのは、日本で打合せに行くと、何も言わなくても珈琲を出されることが多いからだ。前にも書いたように、私は珈琲を飲まなくなって久しいので、自動的に珈琲を出されると戸惑ってしまう。珈琲を飲まないまま失礼できるときはまだ良いのだが、どうぞ、と再度勧められたときが問題だ。有難うございます、と言いつつ飲まないのも失礼なので、そういうときは、申し訳ないのですが珈琲は飲まないのです、と正直に言うことが多い。そうすると今度は相手が恐縮してしまう。

それにしても、日本では珈琲を出すのが決まりのような感じになっている。ドイツのように、珈琲か紅茶、あるいは水が良いですか、と訊いてくれれば私としては気が楽だ。もっと問題なのは、外に一緒に打合せに行った人が、気を利かせて缶珈琲を買って来てくれたりするときである。そんなことは滅多にはないが、この場合も断るのに少なからず勇気がいる。いつだったか、やむを得ず珈琲を一度だけ飲んだことがある。そうしたら、大袈裟ながら、カフェインが身体中を巡っているような感じさえ受けた。それ以来、珈琲は口にしていない。

珈琲を勧められたときに恐縮することはこれからも多々あると思うし、時折、珈琲の美味しそうな香りが漂ってくると、一杯くらい飲んでみたいなあと感じることもあるけれど、おそらくこれからも飲まない生活を続けようという気持ちの方がいまのところ強いのである。

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