理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

見られる意識と奇麗な歩き方 2010.03.08

自分がどう見られているかは棚に上げてのことなのだが、外出したときに人の歩き方を見てしまうことが多い。どこかに座って、ちょっと嫌らしく人間観察をするのではなく、自分も歩きながら、前から歩いて来る人や、私の前を歩く人の後ろ姿などを何気なく見てしまうだけのことだ。軽やかに歩く人、身体が重そうに歩く人、前屈みで歩く人、外股で歩く人、踵(かかと)を引きずって歩く人など、人の歩き方というのは千差万別だ。

では、ドイツの人はどうだろうか。個人的な意見だが、比較的、姿勢良く歩いている人が多いように思う。その理由の一つとして、彼らは背が高い人が多いから、その分だけ格好良く見えるのかもしれない。でも、彼らが何となく颯爽と歩いているように見えるのは、その身長のせいではなく、むしろ見られているということを意識しているからではないかと思う。もちろんドイツ人の人が皆、そう感じて歩いているとは思えないが、一歩外に出れば、自分の振る舞いが他の人からどのように見られるかということには敏感な人が多い気がする。

常に人から見られる有名人やファッションモデルではないから、自意識過剰になる必要などまったくないし、普段の身だしなみについても私はまったく自信がないけれど、いろいろな人から見られているという気持ちを持ちながら外を歩くことは、決して悪くないことではないだろうか。食事のときの姿勢やマナーを学校で習ったという友人もいるから、ドイツではそんな授業なども普通にあるのかもしれないし、もしかしたら日本の教育現場でも同じようなことは行われている可能性もある。

それはさておき、こんなこと書くと、ドイツの人にひどく怒られそうだが、犬を躾けさせたら世界一と言われるドイツの人だから、外に出るときには、最低でも犬よりしっかりしていないといけないに違いない。いや、ドイツの犬はものすごく行儀が良いから、むしろ人間の方がドイツの犬を見習わないといけないようにも思う。もしかして、人間よりも犬の方が見られていることに敏感だ、なんてことはあり得ないけれど、ちょっとそんなことも考えた。

話が変な方向に逸れてしまったけれど、ともかく外に出るときは、格好良く歩くとか、奇麗に歩くとかは抜きにして、人に見られているという意識を持って歩けば、周りの景色が少し違って見えたりするのかもしれないと勝手に思っている。

« »