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還流独歩

小さな男の子の気配り 2010.03.16

1999年の秋か2000年の冬の頃だったと思う。そのとき住んでいたカッセルという街で、ある男の子の優しい気配りを体験した。その日、私は市内での買い物を終えて、何かの用事のために新幹線の駅に向かうところだった。確か土曜日で、路面電車/トラムの本数も少なかったと思う。駅まで歩くには遠過ぎるし、天気が良いから電車を待つには何となく手持ち無沙汰という状況だった。

そこで私はいくつか先の停留所まで歩くことにした。こういうときは、電車がいつ後ろから来るのかが気になるものだ。街の中心部を抜けるところは、通りが右に曲がっているので、そこを越えると電車がいつ来るのかよく見えなくなってしまう。私は少し焦りながらも、ときどき後ろを振り返りつつ次の停留所に向かって歩き始めたら、すぐに着いてしまった。

ここから新幹線の駅までは数キロメートルの直線道路になっており、路面電車はその中央にある芝生の軌道を走っているから、次の停留所も見えている。少し欲が出た私は、もう一つ先まで行くことにした。しかし、実際に歩き始めてみると、近くに見えていたのが意外にも距離があることがわかった。当時から時計を持っていなかった私だが、時間的にそろそろトラムが来そうな予感がした。

半分ほどまで歩きかけたとき、いま通り過ぎてきたばかりの停留所に電車が入って来たのが見えた。次の停留所まで全速力で走れば間に合いそうではあったが、気持ちが揺れた。駆け足を早めつつ、これは間に合いそうもないかと思っているうちに、路面電車は段々と近づいてきて、歩道を駆け足で走る私を気持ち良く抜き去って行った。

諦めようかと思ったけれど、何だかムキになった私は、車道を渡って、軌道の脇の信号線を埋め込んであるらしきコンクリートの上を次の停留所まで走った。減速する路面電車。全速力で走る私。停留所まであと50mくらいのところまで来たとき、乗れそうだと確信したのだが、それと同時に私は乗客の視線が気になった。ガラス張りの路面電車の後ろに男の子が乗っているのが見えた。

その男の子は、路面電車を追いかけ来る私をじっと見つめている。私が間に合ったと思って駆け足を緩めかけたその瞬間、その男の子は立ち上がって扉を開けるボタンを押してくれたのである。それを見逃さなかった私は、小さな彼の優しい機転に感激しながら電車に飛び乗って、息を切らせながら彼に「ダンケ、ダンケシェーン」とお礼を2回言った。

少し恥ずかしいような素振りを見せた彼は、「ビッテ/どういたしまして」と、少しうつむき加減に小さく答えた。いや多分、彼がボタンを押さなくても、運転手が開けてくれたと思う。でも、降車の合図がないと、扉を開けずに、そのまま走り去ってしまうような意地悪な運転手も中にはいる。

額から流れる汗を拭きながら、何となく男の子を見ると、行儀の良さそうな感じの子だった。その隣りには母親らしき人がいたけれど、私のことは気にも留めていないようである。もしかしたら、彼女が子供にボタンを押してあげなさいと言ったのかもしれない。でもそんなことはどうでも良かった。実際に立ち上がってボタンを押してくれた小さな彼の健気な優しさが素直に嬉しかった。

ドイツでの生活を始めてから、嫌なこともたくさん体験した。でもそんなことは、紙くずに丸めてゴミ箱に捨てる気持ちでいたから、気にもならなかった。だからといって、すべてを忘れることはできなかったけれど、それよりも、時折受ける親切が、私の気持ちを支え続けてくれた。

最近、ドイツの人の親切に触れても、以前のようには感じなくなってきたかもしれない。でも、たまに電車に飛び乗ったときなど、この男の子のことを想い出してしまうくらい私にとって忘れることのできないできごとになった。

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