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還流独歩

集中力の質と量 2010.03.19

何かを集中して作業をする場合、静かな空間と、多少の喧噪がある少しざわついた空間のどちらが望ましいだろうか。自分で質問しておいて実は答えになっていないのだが、私自身はどちらでも構わない気がする。何故なら、本当に集中しているときは、周りの音が聞こえなくなるからだ。これはおそらく私だけでなく、誰にでもあてはまることだと思う。

いろいろなことを考えたり、勉強したり、本を読むときなど、静かなところの方が望ましいことはわかる。でも極端に静か過ぎると、何故だか不思議と気が散ってしまうこともある。むしろ人の会話が何となく聞こえてきたり、軽い物音などに囲まれている中でも、そういった作業ができるという人は、おそらく私だけではないはずだ。

何かを考えながら手を動かしたり、文章を書いたりするときには、集中する時間と微妙に散漫な時間が交互に入り乱れているのではないだろうか。最初は集中する時間が長く取れるのだが、それが次第に短くなって行く。私の場合、朝からお昼過ぎまで作業をして、そこで一旦作業を止めて、昼食を挟んだりすると、午後は散漫な時間が増えてしまう。

そう考えると、一日の中で、本当に集中して何かをする時間というのは、意外と短いのかもしれない。その場所が、静かであっても、多少うるさくても、作業を中断させられるような外的要因がなければ集中力は持続できるけれど、その時間が長いと、あとが続かない気もする。むしろ断片的な集中力を分散させることも必要なのかもしない。

一日の流れを考えたら、集中しているときに電話がかかってきたり、急ぎの返信が必要なメールが入ったりするのは、ごく当たり前のことだ。結局のところ、「集中している時間にできる作業量×それ以外の時間に行う作業量」というのは案外「一定」なのかもしれない。それとは少し違うけれど、世の中の大半のことには、「質×量=一定」という法則があてはまるらしいと聞いたことがある。

今日は、静かな空間と騒がしい空間での集中力について書き始めたのに、最後は何を言いたいのか自分でも良くわからない内容になってしまった。もう集中力がないということにして、今日は中途半端なまま終わりにします。すみません。

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