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還流独歩

ネクタイをする場所 2010.03.23

地下鉄で移動中、電車の中でネクタイを締めている男性がいた。私の席の反対側に座っていた人である。これからどこかの会社にでも打合せに行くのだろうか。その男性を私は怪訝そうに見つめていたと思う。なぜなら、私は電車の中でネクタイを締めることなど絶対にできないからだ。いままでしたこともないし、これからもあり得ない。敢えてできるとすれば、駅の中のお手洗いとかだろうか。

最近はネクタイをする機会が極端に少なくなったけれど、でもネクタイをするときは、必ず外出する前に締める。いくら時間がなくても、外を歩きながらとか、電車の中ですることは私の中ではあり得ない。なぜあり得ないかというと、鏡を見ながらしっかり締めたいし、ましてやネクタイをしている姿を人に見られたくないからだ。

なぜ見られたくないかというと、私にとってネクタイをすることは、着替えと同じ行為に思えるからである。電車に乗っていて、暑かったり寒かったりした場合、多少の衣服の調整をすることはあっても、電車の中で本格的な着替えをする人はいない。だから電車の中でネクタイを締めるようなことは、私にとってはとても恥ずかしいことなのである。

しかし逆に、ネクタイを外すことはできる。ネクタイをすることは着替えと一緒と言っておきながら、矛盾してしまうのだが、外すことは恥ずかしい行為の範疇に入らない。多分、帽子を脱ぐとか、手袋を外すことと同じことかもしれない。それでも人から見られないようにさりげなく外すようにしている。

世間では、女性が電車の中で化粧をすることについて、いろいろと取り沙汰されているけれど、知らない人から見られる状況の中で、男性がネクタイをすることと、女性が化粧をすることは着替えと同じことをしているように見えるのである。人の着替えは見たくはないので、無理に見ることはしないけれど、やっぱり何だか気になってしまう。

電車の中で化粧をしている女性に向かって、私は以前から一度言ってみたい台詞がある。「化粧しなくても十分お奇麗ですよ」。もちろん本当に言ったことはないし、これからも言うことは絶対にないだろう。何だか話が変な方向になってしまったが、電車の中でネクタイをしていた男性には、「ばっちりきまってますよ」と言ってみたくなったりしたのである。

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