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還流独歩

一対一の関係 2010.04.21

私が日本とドイツの違いを感じるのは、お金を払う側とお金をもらう側の立場の差である。これは、いままでずっと書き留めておきたいと思っていたことの一つである。

ドイツでの生活で気持ち良く感じられるのは、そういった、お金をやり取りする際のときだ。そこには払う側と受取る側には大きな差がないように感じられるからである。

例えば日本では、お店の人が「有難うございます」と言っても、客はそれに対してまともに返答をすることもないし、その必要も特に感じないことが多いだろう。飲食店なら「ごちそうさまです」とか、「美味しかったです」と返す程度だろうか。

ドイツで「ダンケ」と言われたら、日本語で、「どういたしまして」にあたる、「ビテ」と返すのが礼儀だ。でも買い物をした際に、お店の人が「ダンケ」と言った場合に、どう答えるべきだろうか。客として来ているのに「どういたしまして」というのは微妙に変である。

それは私がドイツに来たての頃の素朴な疑問だった。そこで良く聞いてみると、お店の人が「ダンケ」と言ったら、客は「こちらもダンケ」みたいなことを言っているのである。つまり、「有難うございます」に対して、「こちらも」というような感じだろうか。

そもそも、お金をもらって何かを提供する側と、お金を払って何かを提供してもらう側に差などあるのだろうか。いや確かに、お金を持っている人の方が立場的に強いのかもしれない。それが資本主義なのだとは思う。

だからといって、それが通用しないのが欧州の文化だ。私はその文化が素晴らしいと言い切るつもりはないけれど、慣れてみると実に気持ちが良い。お金を払う側が偉いと思い込み、それが態度に表れる人は相手にされない文化である。

お金とは契約を履行するための媒体でしかないと考えたら、お金を払って美味しいものを提供してもらう側と、お金をもらって美味しい食事を提供する側には何の差も生じないはずだ。

だからこそ、食事を提供する側は誇りを持って仕事をしているのだろうし、お金を払う側は、それに対して対価を求めているのだろう。それはすべてにあてはまることではないかもしれないが、お金を払う側も受取る側も、何ら差はないのだと思う。

ドイツに来たての頃、日本とは明らかに違うそんな習慣が少し気にはなったけれど、慣れてしまえば、ドイツに限らず、どこへ行っても何だか気持ちが良い。むしろそれがないと逆に気持ち悪く感じられるようになった。

私にとって、日本での生活の中で時折感じる不快感は、お金を払う側と受取る側の落差が顕著に表れている気がするからだろう。簡単に言うと、お金を払う側が横柄な態度をすることが気にかかる。

あるいは逆に、お金を受け取る側の必要以上なまでの丁寧な対応も恥ずかしく感じる。それはきっと日本の相手を敬う文化の一つだとは思う。でも何だか最近は、お金を払うときのやり取りも気になってしまう。

結局、何が言いたいのかというと、大きなお金が動くことの多い建築の分野においても、建築主、施工者、設計事務所、そしてそれに関わる人たち全員が、できるだけ対等な関係でありたいと思うのである。

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