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カレーライス事件 2010.06.01

もう10年弱前のことだったと思う。ドイツでの生活を始めて数年が経った頃、友人の誕生会に招かれた私は、カレーライスをつくって持って行った。大勢で食べられるもので、簡単につくれるものと言えばカレーだろう。もともとインドが発祥などということは、今回の場合それほど重要ではない。

少し早めに行くと女性が二人先に来ていた。彼女たちは、私がつくったカレーがとても気になるのか、食べても良いかと訊いてきた。私が快諾すると、テーブルに置いてあったナンに付けて食べ始めた。美味しいというお褒めの言葉を頂いたので、日本ではご飯と一緒に食べるのだと説明し、あとから本物のカレーを食べようという話になった。

そのうち人が集まり始めた。私はお湯で温めて食べるレトルトのご飯のパックをいくつか用意していた。誕生会も盛り上がり、しばらく時間が経ったので、私は最初に来ていた女性にカレーライスを持って行った。「これが日本で食べてるカレーライスだよ」。そう差し出した私に向かって二人は答えた。「お腹いっぱいだから、もう要らない」。

これは私にとって少なからず衝撃だった。それは、食べてもらえなかったことに対してではなく、そんな必要がないにも関わらず、わざわざお節介のようにカレーライスを差し出した自分が浅はかに感じたからだ。それから私はドイツの人たちに対して、何かを無理に勧めることは、ほとんどしなくなった。

仮にその場が日本であったとしたら「有難う。折角だけれど、もうお腹が一杯なので、少しだけ頂きますね」とか「申し訳ないけれど、もう食べられないので、あとで少しだけ頂きます」というような展開になるのではないだろうか。それは相手の申し出に対し、やんわりと断りつつも、その気持ちを傷つけないような心遣いがある。

ドイツでの生活を始めてから、直接的な表現の返事をもらうとう体験は何度もした。だから、今回のようなことには慣れているはずの私だったのに、「食べられないから要らない」というのはある意味新鮮だった。いまにして思えば、カレーライスなど、無理に勧める必要などまったくなかったことが理解できるのだが、当時はまだ分かっていなかった。

いつだったが、そんな話を日本からの視察を率いてドイツに来た女性に話してみたところ、「日本の女性も変わらないわよ」という答えが返ってきた。その返事には一抹の寂しさを感じたが、私にとっては、忘れられない一件になったので、カレーライス事件と名付けたのである。でも大事件というほどでもないから、小事件というところだろうか。

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