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還流独歩

帯広で氷点下32℃ 2010.08.16

氷点下といっても夏の話ではない。ここ数日、熱い話が続いているので、何か涼しいことでも考えようかなあと思っていたら、私が小学生の頃、帯広で体験した氷点下32℃を想い出しただけのことである。もっとも氷点下となると、涼しいを通り越して極寒だろう。

幼少の頃に記憶を馳せると、誰しもが感じるように、1970年代から80年代後半までの冬は雪も多く、いまよりも寒かった年が多かったと思う。北陸が豪雪に見舞われて、大変な生活を余儀なくされている映像も見たし、私は実際に1階の窓が雪でほとんど埋もれてしまう体験もした。

今年の冬は確かに寒かったが、以前は、もっと厳しかったと思う。子供はどんなに寒くても平気だとはいえ、小学生のとき、帯広で記録した氷点下32℃は実にシバレる体験だった。空気中の水分が凍り付くから、景色がどことなく白っぽく感じられるし、川からもシバレた水蒸気が煙のように立ち上る。

とはいえ、氷点下15℃以下になると、あとは何度でも変わらない気がする。これが0℃以上の15℃と30℃では明らかに違うのに、氷点下15℃と30℃では感覚的にはあまり違いは感じないようにも思う。むしろ当時は、翌朝の最低気温が低いことを期待して、元気よく学校に通っていた。

その頃、北海道では、秋になると冬の寒さ対策として、どのお宅でも窓に透明のビニルを張っていたし、真冬には水道管の水が凍らないように、寝る前には水道の元栓をひねって水落しをしなくてはならなかった。母がそれを忘れて水道管を一度凍らせてしまったことがあり、設備会社の人を呼んで凍った地面を掘り返して直してくれたのを覚えている。

でも、それらの寒さは辛い記憶としては残っていない。子供だったということもあるし、スキーもスケートも、寒くないとできないから、きっと寒いことが楽しかったのだろう。天井放射暖房を上半身に受けていたら、そんなことをふと想い出してしまった。

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