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還流独歩

自分探し 2010.09.16

過日、国境なき建築師団について書いた。その中で、青年海外協力隊についてほんの少し触れたのだが、実は私もその昔、関心があったので、説明会などに行ったことがある。でも結局止めてしまった。実際に行った何人もの人に次のような質問を投げかけてみた。「協力隊を通じて海外に行った本当の理由は何ですか」。その答えは多様だったが、かいつまんでまとめると、結局のところ「自分探し」だった。

そう気づいた私は急に白けてしまった。なぜなら、そういう私の方も何のことはない、「自分探し」をしたかったからだ。青年海外協力隊を悪く言うつもりなど毛頭ないし、実際に応募して選考を通り、現地に行った人を批判するつもりもまったくない。ただ、協力隊という組織を使って、自分探しに行くことに対し私は納得が行かなかったし、しかも間接的に国の金銭的援助を受けるというのも嫌だった。

発展途上国と呼ばれる国々において、日本からの人的・技術援助は大いに役立っているはずだ。それに疑問を挟む気はないけれど、もし私が本当に派遣されたら、その国に貢献しているという意義は感じつつも、その一方で、異国の地で何かを掴みたい、あるいは新しい自分に出会いたいという気持ちの方が強いのではないかと感じた。だから私は組織を介して海外に行くのは止めた。そして、本当に行くなら援助を受けるのは最小限度に留めておきたいと思った。

奇麗ごとに聞こえるかもしれないが,もし自分探しをするなら、自分が稼いだ金を使って、誰にも文句を言われることなく、やってみたいと思ったことを自由にするべきではないかと私は考えた。そうしているうちにドイツという国を改めて発見することになった。発展途上国とは反対の世界でも有数の経済大国だ。でもこの国でどうやって生きて行けるかなど何もわからなかったから、たくさんの人から援助を頂いた。だから自分探しは私の力だけでできたわけではないし、それはいまも変わらない。

もちろん、それはわかっているし、助けてくれた多くの友人や知人に感謝している。結局、自分探しの方法など人それぞれだから、どこからどんな援助を受けようが私は構わないと思っている。ただ、余計なしがらみは何となく避けたいと思ったし、むしろ何もない真っ白な状態から始めてみたかった。それは自分の力でどこかまでできるか試してみたかったというよりも、単に私が不器用だからなのだろう。その方法が良かったのかどうかは、いまもわからないし、きっと正解などないと思う。

うまく行っている人は羨ましいと私も密かに思っている。でもうまく行かないときの方が学ぶことは多いのかもしれないと思えるもう一人の自分もいる。自分探しの旅は、いつの間にか少しずつ方向が変わってきたけれど、これから先もまだまだ続いて行きそうである。

加筆訂正:2010年12月30日(木)

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