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還流独歩

東京脱出 その3 2010.09.24

客室乗務員の彼は、できるだけ日本語を使おうという努力をしているのがわかる。「ナニカ、ゴヨボガアリマシタラ、エンリョナク、オシラセクダサイ」。ここは敢えてカタカナで書いたが、彼の日本語はそんなにたどたどしくはない。むしろ聞いていて楽しい。それはきっと彼の個性でもあり、日本語が持つ寛容力も関係していると思う。誰一人として、彼の完璧ではない日本語を細かく指摘する人などいない。みんな好意的だ。見ていて、聞いていて、彼の対応は実に楽しい。そんな雰囲気をつくり出せる彼から私も学ぶべきところは多いにあると感じる。

時折、少し目をつぶったりして寝ようと思ったが、結局ほとんど眠らずにミュンヘンに着いた。乗換の税関で声をかけられる。特に申告すべきものもないので、全部、丁寧に説明したら、何の問題もなく通ることができた。定刻よりも少し早い到着だったので、乗り継ぎまで2時間以上もある。日本時間の午前2時を回った頃から次第に疲れが出てきた。思考回路が半分寝ている感じである。ケルン行きの飛行機はとても小さく、搭乗口からバスに乗って空港の外れまで運ばれた。定刻に出発した飛行機は、問題なくケルン/ボン空港に到着し、荷物も損傷することなく出てきた。

ここからがまた少し遠い。ケルン中央駅まで電車で僅か10分程なのだが、20分に1本しかないため、ちょうど逃してしまうと、その待ち時間が微妙に辛い。しかもすぐに乗れる電車が来たのに、切符の券売機で中国か韓国から来たと思われる男性に声をかけられてしまった。「このホテルまで行きたいのだが、どうやって聞けば良いのか」と英語で訊かれた。私は、たったいま入ってきた電車に乗りたい気持ちで一杯だったが、仕方なく我慢して、彼が持つ紙切れを見た。そこにはSavoy Hotelと書かれており、所在地が、Haan/Düsseldorfとなっている。

電話番号から判断すると、デュッセルドルフ市内ではないことがわかったので、「ともかくこのホテルは市内にはないし、私はハーンという街がどこにあるのかわからない」と正直に答えた。いまにして思えば、路線図で調べてあげれば良かったのだが、私は早く帰りたかったので、ともかく券売機にHAANという駅名を入れてみた。するとケルン/ボン空港から40分くらいで、しかも一回乗換で9.8ユーロということがわかった。私はそれを彼に伝えたら、「9.8ユーロもするのか」という反応だった。しかも画面には5本先までの接続が掲示されている。「どれに乗れば良いのか」と質問してきたので、「どれでも」と答えた。事実だから仕方がない。

時刻表を出力することもできるのだが、彼とのやりとりがすれ違いになっていることに嫌気がさして、詳しく説明するのを止めた。ケルン中央駅まで来れば何となると言おうかと思ったが、長旅の疲れもあって、とにかく自分の切符を先に買わせて欲しいと伝えた。彼は公衆電話からホテルに電話してみるというようなことを言いつつ、私にお礼を言ってその場を去って行った。僅か数分の出来事だったが、何だか誠実に伝えることのできない自分に妙なわだかまりが残り、彼に申し訳ない気持ちになった。ホームに下りると、電車が行ってしまったあとの静けさが気だるかった。

久しぶりに見るケルンの大聖堂は、雨の当たらない部分だけは下から当てられた照明で白いけれど、それ以外は相変わらず巨大な黒い固まりだった。ケルン中央駅も、いつものように真っすぐ歩けない程の人が行き交っている。成田までの電車に揺られ、飛行機に揺られ、ケルンでまた電車に揺られ、最後にバスに揺られた移動は、慣れているとはいえ少し疲れたけれど、こうしてケルンに戻って来ることができて、不思議な安堵感で一杯である。一日置いて、またすぐに移動が続く。明日はその準備である。

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