理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

復活銭湯 その3 2010.12.31

でも何か足りない。いや何かがなくなってしまった。銭湯というのは元来、つっかけやサンダルを履いて、一風呂浴びに行くような日常の延長線上にある空間なのだと思う。そこは一日の疲れを取ることができる伸びやかな空間で構成されているべきであろう。というのは皆が裸になる場所だからだ。そこが、かっちりとした真新しい空間だと妙に落ち着かず、開放的な気分に浸りたいという気持が微妙に萎縮してしまうように思えるのだ。

銭湯には、ある程度の「だらけた空間」が必要だと私は思う。夏の暑い日に風呂から上がって、長椅子に腰掛け、団扇を扇ぎながら「今日も暑いね〜」と愚痴を言ったり、埃の溜った扇風機を自分の方に向けつつ、涼みを取ることで一日の気持が次第に和らいで行くものなのだ。奇麗な方が良いのは当然だけれど、適度に雑多な状態の空間から得られる心地良さも銭湯にはあるはずだ。だから、あまりにも整い過ぎていると、逆に窮屈に感じてしまう気がするのだ。

ここまで書いてきて改めて思ったのだが、やはり脱衣室が大きく変わってしまったことが、何となく落ち着かないことにつながっているようだ。つまり、これまでは脱衣室がくつろぎの空間も兼ねていたのに対し、改修後は着替えるだけの場所になってしまったから、そこでゆったりすることができなくなったのだ。その役割は逆に広くなったフロント部分に委ねられた。お風呂から上がり、すぐに着替えて、そして荷物を持って移動してからくつろぐことになる。

新しい脱衣室にも四角い椅子が三つあるし、そこで休むことも可能ではある。でも落ち着かない。要は長居ができないつくりになっているのだ。かつて無造作に置かれていた衣類を入れる篭もなくなったし、温まった身体を涼ませる長椅子もない。着替えるだけの機能しか持たなくなった新しい脱衣室は確かに奇麗だけれど、風呂上がりの何とも言えない緩やかな時間を与えてくれる空間ではなくなってしまったことは実に残念である。

そんな否定的な気持がある一方で、銭湯が減り続けている状況にありながら、新しい世代にも受け入れられる努力をし続け、そして大胆な改修を試みたことは評価されてしかるべきだと私は思う。銭湯というのは日本の文化の一つだから、これからも地元の人だけでなく、多くの人にも来てもらいたいと願っているし、私は毎日は行けないけれど、それもで少しは貢献したいと考えているから、辛辣な批評をしつつも、定期的に通い続けることになるだろう。

年末なので、一年を締めくくる楽しい話題にしたかったが、方向が逸れてしまったことをお許し頂きたいと思う。そして今年も多くの方々に支えられて一年を終えることができそうだ。お世話になった皆さんに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。そして新年が良き年になりますように。
 
▽連結
湊湯:東京都中央区湊 1-6-2
東京都公衆浴場業生活衛生同業組合

« »