理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

便座カバー 2011.02.05

日本のものには、いたるところでカバーが掛けられているように思う。便座カバー、便座の蓋カバー、紙巻き器カバー、電話カバー、ティッシュ箱カバーなど、カバーだらけである。そういえば、その昔、マニュアル車のシフトノブにもカバーが掛けてあった記憶がある。

ところで、これは私が言い出したことではない。おそらく作家の椎名誠の指摘が最初であろう。20年くらい前に読んだ彼の本に書かれていたと記憶する。もしかしたら違う人かもしれないし、他の誰かの間違いかもしれないが、この鋭い指摘をいち早く公言したのは、私の中では椎名誠と決まっている。

彼の指摘が的を得ていることは日本にいるときからわかっていたし、共感する部分が多かった。そしてドイツでの生活を始めてから改めてそう感じたことも多いし、そして日本戻って来たときでも、彼の視点はやはりあちこちで当てはまるものだと感心したりするのである。

ドイツでは、そういった類いのものはほとんど見かけない。お手洗いの便座の前に敷くマットもほとんど見たことがないし、私の知っている友人宅のお手洗いには、そういった類いのものは一切ない。日本のお宅のお手洗いは逆の傾向があるように思う。その違いの理由は何なのだろうか。

埃を防ぐということもあるかもしれない。便座カバーがあれば、座ったときに冷たく感じることもない。私は「もの」にカバーがかけてあっても良いとは思うが、私は要らない主義である。便座カバーを付けている人に恐縮だが、逆に不衛生に思えるのは私だけだろうか。何だか「汚れ集塵機」のように感じてしまうのである。

便座カバーを頻繁に洗濯しているのであれば構わないけれど、むしろ付けている方が埃が溜るし、見えない汚れが拭かれることもなく付着している可能性だって大いにある。見た目は良いかもしれないが、汚れがすぐに見えるような状態にしておく方が、衛生的には良い気もするのだが、どうだろうか。

そう言いつつも、私はさほど気にする方ではないので、カバーが掛けてある便座を拒絶することなどない。ただ、便座カバーなるものを見るたび、そんなことを考えてしまうのである。

« »