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還流独歩

偏在と遍在 その1 2011.04.15

漢字というのは実に良くできていると思う。ピクトグラムのように、見た瞬間に何を意味しているのかがわかってしまう。もちろん、英語やドイツ語、韓国語などの単語であっても、それを見れば意味など瞬時にわかると思うが、漢字を見たときとは大きな違いがあるように思う。それをどのように表現すれば良いのだろうか。苦し紛れに形容すると、読まなくてもわかるという感覚だろうか。あるいは直感的判断とでも言い換えられるかもしれない。

ところで、目の前に「偏」と「遍」という二つの文字を出されたとする。片方は「にんべん」で、もう一つは「しんにょう」の違いでしかないが、大抵の人は「偏」を見ると「偏っている」ということばを思い浮かべるだろうし、「遍」は「どこにでもある」という意味を推測すると思う。この二つの漢字に「在」をつけると「偏在」と「偏在」になる。それぞれの根本的な意味は「在」がついてもほとんど同じで何ら変わらない。いずれにしろ互いに正反対である。

この二つのことばに地下資源というものをあてはめてみる。原油や天然ガス、ウランといった地下資源は、地球上にどのように存在しているだろう。「偏在」と「遍在」の二択しかない場合、それほど悩まなくても、大抵の人が前者の「偏在」の方を選ぶはずだ。地下資源は地球上に「偏って」分布しているのである。それはどういうことだろうか。簡単にいえば、希少価値が高いということを意味する。希少価値が高いと資本が集まり寡占が生じる。

ガソリンや灯油の価格が変動するのは、それらの元になる原油が地球上に偏在しているからに他ならない。原油が日本の各地で取出せるのであれば、わざわざ産油国から取り寄せる必要もまったくない。あるいは金やダイヤモンドが、どの国でも簡単に採掘できるほど「遍在」しているのなら、その価値など大きくもないから、国際間において高値で取引されることもないし、女性が憧れるということもないだろう。それはブランドの価値とはまた違うとは思うのだが・・・。

一方、太陽光や風、水、雨、雪、波といったものが地球上に、どのように分布しているかというと、その一部は偏ってはいるものの、大部分は「遍在」しているといって良いと思う。白夜の反対である「極夜」という例外もあるが、日射の強弱は別として、地球上で太陽の光が届かないところはない。雨も雪も降らない砂漠では水が貴重だが、風はどこでも吹いている。火山国の日本は地熱も豊富だ。いわゆる自然エネルギーといわれるものは地球上に「遍在」しているのである。

「偏在」する地下資源は貴重だから、それを求めて国際間の紛争が起きる。でも、「遍在」する自然エネルギーを求めて国家間の争いにまで発展することはない。太陽光発電を考えるとき、ドイツの人が、スペインに降り注ぐ強い陽射しを羨ましく感じることはあっても、それをドイツに持って来て使えるようにするというような争奪が生じることはないし、そんなことはできない。日本の一部の地域に吹く強い風を、中国や韓国が争って奪いに来るということもない。

加筆訂正:2011年4月20日(水)/2012年2月29日(水)

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