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還流独歩

明るさの再考 その2 2011.05.11

技術がさらに進歩しても、発電所での発電効率を80%や90%にすることは不可能だ。この世の中に、絶対という表現をしてはならないことがたくさんあるが、熱機関といったものの効率には、人間がどうあがいても超えられない限界というものがある。一方、目の前に1リットルの灯油があって、それが燃え切ったとする。この化石燃料が持つエネルギー(正確にはエクセルギー)はすべて熱に変わる。その一方向的な過程の効率は100%である。

それに対し、発電所のように燃焼する熱を使って何かを得ようとするとき、その過程には必ずエネルギーの損失が発生するため、効率が100%になることはない。しかもその無駄を生む過程をなくすことも絶対にできない。それは熱力学第二法則で証明されている。中にはこの法則が未完だという意見もあるようだが、地球上の温度変化を伴う熱機関は、すべてこの法則に支配されていて、人間や機械だけでなく、この地球の熱的機能もまた例外ではない。

詳しい説明を始めると切りがないので、専門的な内容は他書に譲ることにするが、ともかく化石燃料を燃やして水蒸気をつくり、それでタービンを回して発電する過程の効率は、これまでの技術革新のお陰で、かなりの水準まで高められており、それは既に限界にまで達している。いくら頑張っても技術では超えられない壁があるというと未来がないと思われるかもしれないが、そういうものなのである。

灯油などの化石燃料を燃やしたとき、熱になる効率は100%だと先述した。では太陽の光を建物に導き、それを照明として使ったときの効率はどう考えられるだろうか。そこにはいくつかの段階が含まれるのだが、難しいことは抜きにして、室内に入った光はどこかに吸収されて最終的にはすべて熱に変わる。この過程の効率も100%だし、他にも電気コンロに投入された電力がすべて熱に変わる過程の効率も同じ100%である。

太陽光や化石燃料、あるいは電力というのは極めて質の高いエネルギーである。特に電力のような製造過程における効率を考慮せず、電力そのものを基本に考えて、それを熱に変える場合に限っていえば、熱への変換効率は同じく100%となる。そういった視点に立って、太陽光を照明として使うということは自然の摂理に従った実に素晴らしい効率を持つ使い方なのではないだろうかとさえ思う。

そう書きながらも自分では、まだ十分には納得していない面もあるし、もしかしたら間違っているかもしれない部分もあるだろう。ただ、忘れてはならない重要な視点は、太陽光を室内に取り込んで、それを照明として使ったり、あるいは日射を床や壁に吸収させて暖房の代わりに使うという方法は、あまりにも原始的に思われるかもしれないが、実はとても基本的な面を持っているからこそ、極めて重要なことなのではないかと私は本気で思っている。

太陽光発電や太陽熱を利用する技術は、これからますます求められて行くだろう。でもその効率を100%にできることは絶対にない。太陽光発電で最大15%、太陽熱利用で40%が限界である。将来、もう少し上がる可能性もあるが、大きな変化は望めない。それに対し、自然の光や日射を取り込む過程は太陽からの質の高いエネルギー(エクセルギー)を、まさに自然な形で100%使い切ることに他ならない。

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