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エアバスA380搭乗記 その1 2011.05.19

最初に断っておきたいのですが、いつものように本題に入るまでの前置きが長く、また肝心な部分は、その2から始まります。またA380について語っている文量も多くはありませんので、どうぞご了承下さい。

5時過ぎに起床。夕べも遅かったので起きるのが辛い。メールを確認し、雑用を済ませてから泳ぎに行く。今日は移動日なのだが、6時半の開館に合わせて行けば、最後の準備に1時間程取れそうだ。いつもは6時40分か、あるいは7時くらいに行くようにしている。というのは、6時半ちょうどに着いても、人が並んでいて、しかも受付が確実に遅いので、結局入るのに10分程かかってしまうからだ。係の人も一人しかいないし、ロッカーの鍵用のチップを購入できる自動券売機も一台だけで、しかもよく壊れている。

実は今日がまさにその日だった。受付に20人、券売機に10人。でも券売機の調子が良くないらしく、何の反応もないらしい。私は素直に係の人がいる列に並んだ。一人一人、入館用のチップを発券するのだが、それも実に遅い。これもドイツ。仕方がない。出だしにつまずいたが、いつものように40分程泳いだ。これで気持も入れ替わった。戻って出発の最後の準備をする。そして最初にスーツケースだけを一階まで下ろした。その理由は重いからだ。次に窓が閉まっているのを確認し、戸締まりを済ませて9時過ぎに出発する。

すぐ近くのバス停に行くと、なぜか7、8人待っている。どうも遅れているようだ。10分待っても来ない。あと5分で来なければタクシーを使おうかと真剣に考え始め、もう本当に移動しようかと思ったら、ようやく来た。ケルン市内は地下鉄の工事や改修工事のため、いたるる所に仮設の信号があったり、車線が制限されていてなかなか思うように進まない。バスを運転するのは女性だが、急制動をかけたりして運転がとても荒い。交差点を曲がるとき、ベビーカーの女性など遠心力がかかって実に危ない。ともかく予定の電車の出発まで15分というところでケルン中央駅に着いた。

今回は久しぶりにルフトハンザでの移動である。理由は他の航空会社が高かったからだ。日本の航空会社だと、例えば、成田から国内便への乗換は、ドイツからの往復の運賃に含まれるから、そのまま札幌や福岡に移動するのに便利だが、今回はそれを考慮しても、かなり割高なのと、結構混んでいて、満席に近いような状態だったので、たまには違う航空会社にしてみようかと思っただけの話である。それ以外の航空会社も考えたが、時間がかかり過ぎるので、素直にフランクフルトから途中降機なしで移動することにした。

これも以前に書いた記憶があるが、ルフトハンザはケルン中央駅で搭乗手続きができるので便利である。以前は荷物もここで預けることができたが、いまはもうできなくなってしまった。物腰の柔らかい実に丁寧な窓口の男性と適当な会話をしているうちに搭乗券を渡された。ホームへ上がると、すでに電車が来ている。フランクフルト空港へ向かうICE新幹線には、エアレイル/AIRailというルフトハンザ専用の車両が連結されていて、電車なのに飛行機のような扱いなのだ。荷物を積んでくれる係の人もいるし、軽い飲物も出してくれる。

荷物係の男性に、私の席の番号を見せると、こちらへどうぞと笑顔で言う。どう考えても違う場所なのだが、どうもその微笑みの裏側にある何か特別な扱いを見抜いた私は素直にそちらの席に着いた。空いているから広いところを勧めてくれたようだ。運転席の真後ろで、もしかしたら一等席なのかもしれない。ともかく今日はフランクフルト空港へ問題なく移動できそうだ。電車は定刻に発車し、時速300kmの巡行に入ると、並走するアウトバーンを走る車を軽快に抜きさって時刻通りに空港駅へ入った。

カウンターで荷物を預けたとき、赤い縁の洒落た眼鏡をかけた少し年配の女性が私に尋ねて来た。「いま日本は、一体どういう状況なの?」。私は答えに窮した。地震が発生する前に東京を発ち、それからずっとドイツにいたので、日本の状況は正確にはわからないが、東京は平常を取り戻しているようだ。ただ、原発については落ち着いているように見えるだけで、放射能は相変わらず漏れているし、危険はまったく去っていないと答えた。その女性は、いつか日本に行こうと思っていたが、しばらく行けなくなって残念だというようなことを言った。ちなみに荷物は28.4kgであった。

加筆訂正:2011年7月4日(月)/12月1日(木)

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