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還流独歩

放射線と生命 その2 2011.05.26

生命の進化は、そのとき置かれている環境に順応する形で進化して来た。繰り返しになるが、光や風、あるいは日射、雨、熱といったものは、人間が感じることができるものばかりだ。自然エネルギー(エクセルギー)の利用とは、人間が進化する中でうまく付き合って来たものとの共存に過ぎない。

それらは環境に優しいとか、地球に優しいなどと言われている。環境に負荷を与えないとか、あるいは低負荷だと表現されることもある。でもいつも思うのは、そういったとても聞こえの良い表現に対し、妙な嫌悪感を受けるのである。自然からの働きかけを利用することは、環境に優しいのではなく、人間が等身大で扱えるだけのことなのだ。

その一方で、生命の進化の過程に大きな影響をもたらすことのなかった物質が、いつの間にか自らの手によって開発されてしまった。それは気の遠くなるような年月の中で人間が持ち得た五感というものをもってしても、まったく感じることのできないものを日々つくり出している。これは極めて重要な示唆を含んでいる。

学生の頃に携わっていた基礎研究の中で、資源の投入と消費、それに伴う熱と廃物の生成について学んで以来、地球上の「熱の系」にかかわる本質を捉える意識が芽生えたと同時に、それらに類する事象を冷静に判断することができるようなったように思う。だから、いろいろなことを的確に捉えて、それを発信すべきだとも感じている。

そう思いつつ、今日、このことを書くには、これまで以上に、かなりのためらいがあった。何度も書き直しつつ、掲載すべきか悩んだ。こんな小さな文章で、大きな影響力を生み出すことなど考えてはいないけれども、一つだけ言えるのは、一旦、自ら出した情報からは、もはや逃げることができないからである。

でも、もう一度書く。なぜ人間が放射線を感じることができないのか。その根本的な理由を探ってみると、これからの技術のあり方に、すでに一つの大きな答えが出ているように思う。私は研究者ではないが、そういった視点を常に持ち続けつつ、過敏と思われることであっても、ものごとを純粋な気持で捉えて行きたい。

不穏な日々が続く中で、自分自身がどうあるべきかが大きく問われている環境に身を置いていることを実感せざるを得ないのである。

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