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還流独歩

等身大の技術 2011.05.27

いま、自然エネルギーを利用した技術が、かつてないほど大きく取り上げられている。その潮流は決して悪いとは思わないし、むしろ次の世代のことを考えると、これからは、より本格的に、そして真剣に取り組まなければならない課題の一つであることは間違いないだろう。

そういった技術は、これまで「環境や地球に優しい」と言われ続けて来た。でも単純に、しかも超大雑把に言い換えれば、「人間が扱うのに優しい技術」だということだろう。環境や地球のことを考えることは、決して悪くはないと思うが、規模が大き過ぎて、私には良くわからない面が多い。

自分が行動する環境や、あるいは小さな範囲での「地域」環境は私の力でも変えられるかもしれないが、この大きな地球環境を私一人が尽力したところで変えることなどできるわけがない。こういうことを書くと実に白けてしまうのだが、一人の人間が地球を救うことなどできないと私は思っている。

自然の働きかけを利用した技術というのは、等身大としての人間が扱いやすいもののはずだ。環境や地球に優しいのではなく、人間が楽に扱えるものこそ大切にすべきであり、気の遠くなるような進化の過程で生まれて来た人間に対して優しくないものが、環境や地球に優しいわけがない。

人間が生きて行くためには、環境も地球も大切だ。でも、まずは人間としてのヒトを中心にものごとを考えて行かなければならないと思う。それは人間の我が侭だとか、エゴだとか言われそうだが、では環境を守るために人間が死ぬことを我々人間は選択できるだろうか。

地球環境を中心に考えるなら、地球を守るためにヒトが死滅すれば良いという暴論は極めて正しいことになる。だから、環境に優しいとか、地球に優しいのではなく、ここまで進化し続けて来た人間を、これから先も人間でいられるような等身大の技術を次の世代に渡して行きたいと切に思う。

いや、思うだけでなく、何らかの方法で、それを具現化しないといけないのだが、それに対する焦燥感だけが、いま空回りしている気がするのである。

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