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還流独歩

教育実習から21年 2011.06.01

大学時代に教職課程を履修して、某中高学校へ教育実習に行ったのは1990年のことだったと思う。その詳しい時期までは覚えていないが、確か5月の連休が明けた頃か、ちょうど6月のいまの時期ではなかったかだろうか。そのときの多くのことは忘れてしまったが、断片的には、いまもよく覚えていることがある。実習の初日、授業開始のチャイムがなっても着席せず、缶ジュースを飲みながら教室内をうろついたりする子が教育現場には間違いなく存在するということを、そのとき始めて知ったりもした。いまにして思えば、どうということもないのかもしれないが、私にとっては新鮮な驚きだった。

そのときのことを書き始めてしまうと、恥ずかしながら、想い出の引出しが走馬灯のように次から次へと開き始めてしまうので、今日は止めておきたいと思う。それで何を言いたいかというと、学生時代とはいえ、限られた時間に何か特別なことを集中して行なうと作業というのは、少し大袈裟に言わせてもらえるなら、その後の生き方や価値観に対し、多少なりとも影響を与えるのではないかと思うのである。でも、それが私にとって一体何であったかを改めて考えてみると、自問自答をしておきながら、実は良くわからないし、ことばに表すのも非常に難しい。

ただ、一つだけ言えることは、教師というのは、教える年代の児童や生徒よりも少し早く生まれただけの話で、別に何か偉い存在ではない。そして、授業を通じてどこまでできるかどうかはわからないけれど、教師自身の価値観、あるいは生きる知恵といったことを少しずつでも伝えて行くことが大切なのではないだろうか。とはいうものの、私は教壇に立っているわけではないので、ここで偉そうなことを書いたところで、残念ながら真実味も説得力もないとは思う。でも教育実習中は気持の余裕はなかったけれど、教師の役割とは一体何なのかを考えたことは多分にあった。

それから、学校の先生というのは、実は在学中に教えてもらっているときには、何の有難みを感じない存在であり、毎日、顔を合わせているからこそ、あたり前のような感覚で接してしまうものなのだ。しかも学校を卒業してから、「そんな先生いたよな…」というように、単に想い出の中にのみ存在するものではないかとさえ感じている。それは小中学校、高校、あるいは大学でもまた大きく違うのだろうとは思うのだが、特に小中学校の先生は、記憶の中にのみ生きて行くような、そんな気がすることを教育実習を通じて思った。それが嫌だとかそんなことではない。それがあたり前なのだと思う。

今日、一緒に教育実習に行った仲間と会い、いろんな話をしたあとの帰りの電車で、ふとそんなことを考えた。当時、中学生だった子供たちも、いまは30代半ばを迎え、高校生だった生徒たちも40歳に近くなろうとしている。いま、どこで何をしているかなどわからないけれど、誰もが自分の人生というものから逃れずに、あるいは懸命に向き合いながら、新しい家族と一緒に、もしかしたらいまも一人で、日本や地球上のどこかで生きているのだと思う。そういう私もまた同じである。

実習の最後に、私宛に応援のことばを色紙や手紙に書き添えてくれたみんなは、いま、どこでどうしていますか。幸せだと感じて生活をしている人もいれば、そうでない人もいるかもしれない。日々の生活で精一杯の人もいるだろうし、人生という一度切りの時間を謳歌している人もいるだろう。悩み悩んで辛い時間を過ごしているかもしれないし、毎日が楽しくて仕方がないという人もいるはずだ。そんなみんなと同じように、私も日々考えつつ、ときに楽しく、そして月並みな表現だけれども、いろいろな葛藤や希望と向き合いながら生きている。

教育実習というわずか2週足らずの時間で、しかも青い学生だった私がみんなに伝えられることなど何一つなかったし、そんな力量などあるわけもなかった。そして、もしいま仮に教壇に立つ仕事をしていたとしてもきっと同じかもしれない。そんなことを考えることさえ、おこがましいのかもしれないけれど、でもいま、また会えるとしたら、「生きるための知恵」や「自分の頭で考え、そして判断することの大切さ」、あるいは「家族を守るためにどうすべきか」という「自らの揺るぎない価値判断とは何か」を一緒に考えたいと思う。

教育実習で出会った中学生や高校生は、私のことなど記憶のどこにも埋もれていやしないと思うし、それで全く構わない。ただ、教育実習から20年を経たいまでも私は、時折、彼らのことを想い出し、そのときの恥ずかしい自分と向き合いながら、相変わらず、自分という人間から逃げることができないまま、いまも確実にここにいる。
 
加筆訂正:2011年6月7日(火)/6月12日(月)/7月21日(木)

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