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還流独歩

6月の熱波 2011.06.28

予想通り、今日も朝から生暖かい風が吹いている。夕べは少し早めに就寝したが、浅い眠りのまま朝を迎えてしまった。何だか身体が妙に火照っているので泳ぎに行くが、15分ほど歩いただけで背中が汗まみれになってしまった。戻って来て作業を始めるが、通りの反対側で行なわれている増築工事の音がうるさく、なかなか集中できない。金槌を打つ音や、軽めの騒音なら耐えられるのだが、チェーンソーのようなもので板を切ったり、コンクリートをはるつような音は、暑さをさらに助長して実に鬱陶しい。窓を閉めると暑いので、仕方なくそのまま騒音と付き合うことにした。

午後になって、さらに気温が上がって来た。作業机の上の天井の放射温度は33℃である。興味本位で屋根瓦の表面温度を測ったら58℃だった。少し大袈裟だが、開け放った窓からは熱風が入って来る。愛用のノートPCの音が急に大きくなった。普段は動いているのがわからないくらい静かなのだが、今日は本体がいつになく熱くなっているから、排熱用のファンか何かが懸命に動いているのだろう。こういった機械というのは、常に冷やす必要があるのだ。気温が低いときには問題ないが、今日のような熱波が来ると、排熱装置を本格稼働しなければならないようだ。

これまで何度も書いて来ているが、熱に関わるすべての機関は、人間や動植物、機械なども含めて、そのすべてが熱を捨てることで成り立っている。食べたり、飲んだり、化石燃料や電気の供給を受けることと同じか、あるいはそれ以上に、熱を捨てることが極めて大切であり、それができるからこそ、その機能は動き続けることが可能なのである。その最も大きな系が地球である。太陽から受けた熱を、水という最も比熱の大きな媒体で受け止め、それを地球上で循環させ、その過程の中で生じた熱を適度に宇宙に返している。だから地球も生命も持続できるのだ。

夕方、日本宛の郵便を投函するために軽く外出する。気がつくと、封筒に「JAPAN」と書くのを忘れてしまった。ここで書く程のことではないが、日本に送る郵便の住所は日本語で書いて構わない。とにかく日本にさえ届けば、あとは勝手に配送してくれるので、住所は日本語で書き、国名を書き添えておけば良いのだが、投函するときまで失念してしまうことがある。あいにく筆記用具など持っていないので、いつもビールを買いに行く酒屋に立寄って、ボールペンを借りた。いつもいるお母さんは、日本語の住所を見てえらく感動している。

そういう字は、どうやったら書けるのかというようなことを訊いて来た。暑いのに、また面倒くさい質問である。仕方ないから丁寧に答えようかと思ったところに、別の客が入って来たので助かった。空瓶を6本返し、またあとで来ると言って郵便局に向かった。それにしても暑い。ドイツでも最高気温が30℃を超えるときがあるが、一年の中でもそれほど多くはない。街中にはTシャツと短パン姿の人が目立つ。汗を拭きながら顔を赤らめて歩く年配の女性を見ると気の毒だが、こればかりは仕方がない。明日は気温が一気に下がるというから、今日のうちにビールを堪能しておこう。

ところで最後にもう一度触れたい。資源を取り込むことだけが重要ではない。熱を捨てることのできる環境があるかどうかが肝心なのだ。人間も動物も、車もトラックも、エアコンもPCも、照明器具もどんな家電製品も、太陽電池も太陽熱パネルも、熱と関係するすべてのものは、自ら発生する熱を環境に捨てなければ機能できないのである。資源を取り込む側ではなく、捨てる側からの視点が極めて大切であることは、半永久的に冷やし続けなればならない発電方法が問題になっていることを少し考えれば、多少は理解してもらえるのではないだろうか。

熱を捨てること、その熱を捨てられる環境があること。それは生命にとって非常に大きな問題であり、生存の可否を決めるくらい重要であることを、この束の間の熱波を受けながら、再認識したいと思うのである。

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