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還流独歩

断熱と気密と日本建築 その2 2011.07.13

住宅の湿気の問題についてはさまざまな意見がある。調湿機能のない気密シートであれば、湿度の移動は抑えられるから、呼吸という意味を湿度の移動だけに限定すると、そういった壁が呼吸しないという表現は確かに正しいと思う。しかし、壁を通り抜けるのは湿度だけではなく熱もある。この両方をしっかり捉えないといけないだろう。

調べてみると、「呼吸する家」や「湿度を通す家」という記述が見られる。あるサイトには、「多湿の時は吸湿し、低湿の時は放湿する工法は、湿気と上手に付き合いことができるため、湿度に合わせて呼吸する家が実現する」と書かれている。そして、この「呼吸する家」とは「吸放湿する家」の意味です、と補足されてもいる。

さらに他の会社のサイトを見てみると、建物全体を丸ごと換気する「全館換気システム」のことを「呼吸する家」と定義している。これはもはや比較しようがない。壁に調湿機能を持たせる建築的手法と、機械による換気を呼吸と位置づけるのでは、その意味合いに大きな隔たりがあるだろう。

少しのつもりが、また話が大きく脱線してしまったので、呼吸する建築のことは、また別の機会に触れることにして、今度は通風と換気についてほんの少し触れたい。断熱と気密性に優れた家でも通風や換気は必要だ。ただ、正確に言うと、両者は違う。通風となると、窓を開けて家の中に風の道をつくることである。

換気の中には通風も含まれると思うが、窓を閉めた状態で換気が行なえるかどうかが問題となる。もし、壁の気密が粗くて、外気との換気量が多いとなると、それは熱の移動を意味する。だから「呼吸する家」が何かと考えるとき、壁の気密の善し悪しが原因となる換気による熱移動については、呼吸には当てはまらないと考えるべきなのかもしれない。

日本は四季が豊かで、地域によって、さまざまな気候がある。だからこそ、その地方に相応しい「現代建築」はどうあるべきかを追求するのは難しい。ドイツのように、エアコンがなくても夏を過ごすことができ、しかも暖房が主体の国と求められるものの方向性が少し、あるいは人によっては大きく違っていてあたり前なのだ。

話を断熱に戻せば、日本建築は元来、木造の柱構造だったから、壁はあるものの、それは構造としての役割は持っていない。その代わり、軒を大きく出したり、内部を開放的に仕上げることができた。壁はあくまでも付随したものというと大袈裟だが、外壁もその域を出なかったと思われる。

だから回廊や縁側の外側は、蔀戸(しとみど)で覆い、内側は障子、あるいは襖で仕切られていた。何百年も前、断熱を重要視しなかった背景についてまで語り始めると切りがないが、おそらく熱の遮断ということを重要視してきた形跡は見られない。よく言われるように、床を上げて通風を確保することで夏を乗り切って来たのである。

千畳閣に行ったことはないが、あの開放感が夏の暑さを和らげることに寄与していることは間違いないだろう。不思議なもので、部屋を個割りにして行けば行く程、暑くなる。その典型が自動車だ。車は建築とは違うが、住宅も空間を個割りにすればする程、エアコンが必要になるのではないだろうか。

敷地が小さい場合、平面的に大きくは取れないから、どうしても空間を個割りにして居室を確保しなければならないが、少しでも大きな間取りを中心にして、縦方向の通風にも配慮することで、多少なりとも夏の涼しい過ごし方につながるのではないかと思う。そして、もちろんできるだけ外からの熱の進入も防ぎたい。

今回は文脈が滅裂になりつつあるが、これを書きながら、自分でも思考を整理しているところなので、お許し頂きたいと思う。先日も書いたように、選択事項を二択にして考えれば良いのだろう。自分でそれを言い出しておきながら、まとまりのない内容になってしまった。

ともかく、いろいろな方が、試行錯誤をしながら、温熱環境の良い建築を目指しているのだから、これからも勉強を続けて行きたいと思うし、日本の独特な気候は、そう簡単には答えを見つけさせてくれないのかもしれないから、それも受け入れつつ、建築はどうかあるべきかを探り続ける必要があるのだろう。

長文に、お付き合い頂き有難うございました。

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