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還流独歩

資料の整理 その2 2011.07.15

昨日に引き続き、昼前から再び資料の片付けを始めた。一番古いものは、1998年くらいに遡る。10年以上も前に、ドイツの設計事務所や他の組織との間で行なっていた手紙やファクス、印刷したメールを、ご丁寧にもまだ持ち続けていたのである。こういった書類を見ると、当時のことが否応なく蘇って来る。つたないドイツ語で書かれた手紙やファクスには、必死になっていた頃の自分が映し出されている。そして、忘れ欠けていたいろいろな想い出が蘇る。でも懐かしさに浸っている場合ではない。過去を振り返る時間があるなら、目の前の書類を片付けよう。ともかく今日の目標は、棚を一つ空けることである。そのためにはファイルを半分に減らさなければならない。

ファイルを時系列ごとに取出し、昨日と同じように、片っ端から分別して行く。ドイツの設計事務所のいた頃の資料を片付けた次は、オランダでの可能性を探っていたときのものだ。オランダのデルフト工科大学や設計事務所とのやり取りの記録がたくさん出て来る。もう10年近く前のことだ。いまにして思えば、結構、無鉄砲なことをやっていたものだと思いながら、貴重な手紙などだけは残して、あとは捨てよう。ケルン工科大学関連のファイルも6つくらいあったが、公的な証明書やまとまった課題など、どうしても残しておきたいものだけを別のファイルに入れて、あとは徐々に増える不要な資料の上に積み重ねて行く。捨てる書類の高さは、すでに30cmくらいになっている。

夕方になって、かなり疲れて来た。大した作業ではないのだが、片付けるという行為は、頭を使うのだろうか。あと4つ減らせば棚が1段、すべて空くところまで来た段階で、さすがに気分転換が必要かと思い、少し散歩に出た。ついでに買物も済ませる。すぐに戻って来て、また整理。時折、まったく忘れていたような書類が出て来たりするのが可笑しい。例えば、自分に宛てた手紙や、そのときの想いを綴った紙切れなどが挟まっているのを見ると、何だか胸が熱くなったりもしたが、自分に対する不用意な同情は、片付けの作業にはまったく不要である。それよりも、人から助言をして頂いたときに書き留めたものを見返したときの方が、改めて勉強になった。

夕方、7時を過ぎたあたりで、だいたい終わりが見えて来た。棚を一つ空けるという目標が達成されたので、まずは濡れが雑巾で拭き、上の棚にあるラジオをそこに移した。あと、この冬に営業を終えてしまった、近くの仕立て屋さんのお父さんから買った古いアイロンも置いた。他にも、棚の中に埋もれていたお土産を少し並べた。うずたかく積まれたいた本棚が一番上から三段もなくなったので、部屋の中が明るくなり、視界が広がった気がする。問題は床にばらまいたファイルだ。数えてみたら、全部でちょうど30個だった。幅が8cmのファイルが8つで、5cmのが22個もある。これも片付けなければならないが、まずは棚が奇麗になったことに満足だ。

あとは、棚に残っているファイルの中身と、作業机の上に積まれた資料を整理しないといけないが、量はそれほど多くないので、また明日、少し時間を見つけて片付けることにしよう。そして、ファイルから取出した捨てる書類を紙袋に入れて紐で縛った。高さ15cmくらいの重い紙の塊が三つもできた。そのまま捨てても誰も見ないとは思うが、シュレッダーのようなものなどないし、公的な書類や手紙などが入っているから、念のための措置である。それにしても紙というのは、まとまると、どうしてこうも重いのだろうか。裏庭に置いてある古紙のコンテナに持って行くと、今朝、回収に来たので二つとも空だった。過去の書類を捨てたら、これで気持がまた少し前向きになった気がする。

そういえば、中学校のときの担任の先生が、口癖のように言っていたことがある。「あってもなくてもよいものは、なくていいんだ」。そのことばは理解はできるものの、おそらくその裏には、また深い意味があるのではないかと思う。だから、この一連の資料の片付けを、そのことばに単純に当てはめることは相応しくないかもしれないけれど、見方を変えれば、それは必要なものや、ものごとの本質とは何かを常に意識しなさいということなのかもしれない。中学校を卒業した翌年、お世話になったその先生は、不慮の交通事故で亡くなってしまった。片付けをしながら、そのことばを想い出し、その先生がいまも生きていたら、その真意を改めて訊いてみたいと思うのである。

加筆訂正:2011年7月17日(日)

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