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還流独歩

集中と分散 その1 2011.07.16

1980年代頃、カメラにラジオが付いた「ラジカメ」という製品があった。検索してみたら、当時の宣伝動画も出て来た。機能としては、ラジオが付随したものだが、巷では、ラジオにカメラが付いているのか、その逆なのかという論争が誌上を賑わしていたように記憶している。一人二役ならぬ、一台で二機能を持ったラジカメは、いつの間にか姿を消してしまったが、ラジオ付きの電卓など、同様の製品が数多く誕生した時代だった。

そして月日は流れ、いまや携帯電話が幅広く普及し、通話はもちろんこと、メールの送受信はあたり前だし、高解像度のカメラも付いている。ワンセグ機能を使えば、テレビは見られるし、インターネットも問題なく可能である。しかも最近は、携帯電話で支払いができるようにもなっている。他にも、携帯電話で自宅の玄関扉の鍵を開閉できる機能を持ったものまであるようだ。

それらの多機能性を考えると、もはや携帯電話ではなく、スマートフォンと言われている通り、超多機能携帯端末ということになるのだろう。そこに制御可能なプログラムを入れ込めば、遠隔操作も可能になるわけだ。そういえば、今年の3月にフランクフルトで見た「ISH/国際衛生空調展」でも、携帯端末から自宅の暖房設備の発停や制御が可能になっているから、遠隔操作が可能な事例はこれからも増えて行くだろう。

そこで、いつものようにやや斜に構えてものごとを見てしまう自分としては、素朴な疑問が沸く。それは、一つの機械に溢れんばかりの機能を持たせても良いのだろうかということだ。一台で何でもこなせる方が、便利になって良いと思うのが普通かと思うのだが、あまりにも便利になり過ぎてしまうというのもどうだろか。というのは、もし紛失してしまったら、いままで便利だったものをすべて失ってしまうからだ。

よく言われるように、便利さには危険性が対峙している。便利さの追求も大切だが、その裏腹として、危険分散も考慮しておくことは、重要な視点ではないかと思う。細かな例だが、携帯電話を失ったら、家の鍵を開けられないというのは避けたい。だから普通の鍵でも開けられるようにしておくべきであろう。何から何まで、一つのものに役割を集中させることは、効率よく見えるものの、万が一のときには損失が大きくなってしまうはずだ。

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