理念 建築 略歴 連絡
文章 視察 還流独歩 大福企画
還流独歩

語学試験と禁酒 その2 2011.07.19

月日は流れ、一旦、日本に帰国したのち、その年の秋にまたドイツに戻って来たら、安ワインを飲む生活がまた始まった。数か月後のある日、どうもこれはいくら何でも問題ではないかと考えた。そして語学試験の前に一晩だけ飲まなかった日のことを想い出し、飲むのを止めようと決めた夜があった。ワインの代わりに温めた牛乳を飲んだ。気持が落ち着いて、何の問題もない夜を過ごした。翌日も大丈夫だった。3日が1週間になり、禁酒は結局、2週間近く続いた。

それを通じて、どうやら自分はアルコール依存症ではないということがわかって安堵したのを覚えている。実に他愛もない話だが、この禁酒体験がうまく行ったことが逆に自信につながり、飲むのはいつでも止められるという変な確信が持てるようになった。そして金曜と土曜だけ、お酒を飲むようにし始めたのだが、今度は逆に週末のその二日間に、これまで以上にたくさん飲むようになってしまうことが多くなった。この反動は予想外であった。

これまでの経験から感じることは、禁酒というのは不思議なもので、なぜか一日さえ飲まない日をつくれば、翌日も、その先も、比較的容易に我慢できるのである。ということは、夜になれば飲むことが単に義務のようになってしまっているということなのだろう。世の中には日常的に晩酌する人がいるが、これはもはや習慣を越え、自分に対する義務的な褒美のようなものなのかもしれない。それはそれで何だか美徳のようにも感じられるというのは変だろうか。

人間というのは弱いもので、「面倒なことは明日から始めよう」ということが良くある。というよりもその連続で、面倒なことは一向に始まらなかったりもする。頭の痛い話だが、現実は意外とそんなものなのだろう。資料の整理をしながら、偶然にも見つけた昔の書類を見て、少し遠い過去を想い出し、そこからまたいろいろなことを考えてしまった。たかだか「禁酒」という話なのに、そこには何の自慢にもならない変な想い出が隠されているのである。

わざわざ、ここで人に読んでもらうには恥ずかしいほどの話だが、何だか懐かしくなったので、記念に書き留めてみることにした。ちなみに、カールスルーエ大学の語学習得過程に行くことは、いろいろ考えてあげく止めた。それは自分にとって、望ましい選択肢だとは思えなかったからである。もしその方向に進んでいたら、今頃どうなっていたのか興味はあるが、考えても意味などない。人生というのは、きっと何気ない分岐点の連続だから、視線を前に向けて進むことにしよう。

« »