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還流独歩

冷蔵庫の掃除 2011.07.22

普段の生活の中で、面倒だけれども、しなければならないことはたくさんある。その一つが掃除だ。掃除が好きな人も中にはいるのかと思うが、大抵の人は、片付けとか整理整頓を含めた掃除といったことの優先順位は低く、できればやりたくないと思っているのではないだろうか。例えば、掃除機という便利なものがあるけれど、拭き掃除をしてくれるわけではないから、何でも機械に頼るわけにいかないものだ。

先週、資料の整理を終えて、気分が少し軽くなったら、今度は冷蔵庫が気になり始めた。というより、これもまた以前から中を掃除したいと思っていた。というのは、一枚扉の小さな冷蔵庫の冷凍部分には、その上部から、いつの間にか霜が膨張していて、厚みが5cm近くにまで成長してしまっているからだ。冷凍食品はあまり買わないようにしているので、ほとんど空とはいえ、それでも膨れ上がった霜を見るのは鬱陶しい。

冷蔵庫の中の食材が少なくなったので、夕方、買物に出るついでに電源を切って、扉を開けてままにして出かけた。帰ってみると、霜の塊はようやく融け始めたところだったが、冷凍庫の上端と氷の間にナイフをほんの少し差し込んだら大きな塊がすべて簡単に取れた。こういうのは実に気持が良いものだ。そして、中の食材も棚もすべて出して、拭き掃除に取りかかった。やってみるとわかるが、冷蔵庫の掃除というのは実に面倒である。

冷蔵庫の中に多少の汚れがついていたとしても、食品そのものが汚くなるわけではないから気にしなくても良いのかもしれない。でも、棚と扉の収納部分もすべて取り外してみると、どうしてついたのかわからないような染みや小さなゴミが付いていたりする。小さい冷蔵庫だから、まだ楽だとはいえ、取出した棚や収納を洗うのは結構大変だ。汚れというのは、だいたい隅の方についているので、スポンジを使って奇麗に落し、そして軽く乾拭きをした。

あれだけ面倒に感じていた冷蔵庫の掃除は、30分もかからずに終わった。こんな簡単なことなのに、入っている食材も棚もすべて出して奇麗にするのは、床に掃除機をかけるのとは違って、毎週できるわけではない。もしかしたら冷蔵庫を買ってから、中を一度も掃除したことがないという人が世界中にたくさんいるかもしれないなどと、恐ろしいことを考えた。人の家のことを気にするなど大きなお世話だが、掃除を終えたら急にそんなことが頭を過(よぎ)るのである。

良く言われるように、食べるところと、出すところは、つねに奇麗に保ちたいものである。例えが飛躍し過ぎてしまうが、これはまさにエクセルギーとエントロピーそのものだ。資源の入口と、それを消費したあとの捨て場所は、常に一体でなければならず、そのどちらが欠けても生命を維持することはできない。資源の投入と消費、それによって必ず生成される捨て去るべきものと、それを捨てる環境が必要なのである。

冷蔵庫を掃除したら、そんなことにまで想いが巡ってしまった。ともかく、食材が傷みやすい季節だからこそ、食べるところは奇麗に保つことを心掛けたいものである。

加筆訂正:2011年7月24日(日)

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