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還流独歩

開拓の村 その2 2011.08.02

ところで、肝心の展示については、その数も多いので、最も面白かった建築を一つだけ挙げたい。それは「広瀬写真館」である。大正末期から昭和33(1958)年まで、岩見沢市内で営業をしていた写真館を再現したもので、洋風の外観を持ちながら、内部の多くは和風つくりになっており、時代を先取りした典型的な和洋折衷の建物である。当時は写真撮影に必要な人工照明が十分に得られなかったため、写場(スタジオ)が二階に設けられているのが特徴で、北側の屋根は極端過ぎるとも思えるような大きな勾配をつけ、そこに板ガラスを施すことで屋根面全体から柔らかな自然光を得ている。

北側の傾斜角は60度くらいだろうか。反対側の南側は30度程度に見える。この不釣り合いな勾配によって、北側からの自然光が南側の白い天井面で反射し、写場内は穏やかな光環境が実現している。また北側のガラス面の内側には、水平に60-70cmの間隔で張られた針金に白幕と暗幕が6段ほど掛けられており、それを引き出したりすることで写場の明るさを調整していたことがよくわかる。この素朴な採光手法にいたく感激してしまい、しばしその空間を見つめ続けた。また写場の両脇に設けられた暗室などの作業室にも遮蔽可能な大きさの異なる小さな採光窓が設けられているところも、実によく考えられている。

古い大型の写真機や反射版、手回しによって背景を替えられる機械が置かれているこの空間は、光を取り入れる手法や、明るさの調整方法に至るまで、そのすべてがアナログで構成されている。そして、それらは使おうと思えば、いまも十分に機能するものばかりである。化石燃料の消費を前提としない空間には、現代建築では得られることのない違う豊かさで満ち溢れている気がするのである。繰り返しになるが、その一つが建物に取り入れられる自然光だ。それを肌で体験すると、照明用の電力消費量を落としつつ、室内を均一に明るくすることだけが、これから求められる唯一の方向だとは思えなくなってくる。

現代建築は、明るさや涼しさ、あるいは暖かさといったものを機械に頼り過ぎることによって、空間的な豊かさや、ゆとりを失ってしまったようにさえ思える。それは中にいる人間の気持や精神的なことにも少なからず影響を与えている気さえするのである。言い訳をするつもりはないが、これは懐古主義とは違う。ここで何度も書いて来たように、人工照明が溢れている建物が多い中で、自然の光で仕事をしたり勉強できる空間というのは実は贅沢なことになってしまったのだ。均一な明るさが豊かさではなく、移ろいを感じられることの大切さにも目を向けたい。

節電が叫ばれて久しい。それは電気の大切さを考える良いきっかけになった。しかし、そこからさらに少し踏み込んで、必要な明るさとは何か、明るさとはどうあるべきかについての議論は、まだ十分には行なわれていないように思う。自然の光は昼間にしか得られないが、それについて再考することは、太陽が出ている時間だけでなく、夜の明るさについても意識することへつながる気がするのである。無論、電気は必要だ。でも、どうやって電力をつくり出すかという供給側の議論だけでなく、どのようにして使うかということも極めて大切だと思う。

大正時代に建てられた写真館が持つ緩やかな光環境に触れながら、そんなことを考えてみたりした。室内で自然の豊かな光を感じることは、内側と外側がつながることである。それは建築と環境を結びつけることに他ならない。そこから、いろいろなことの本質が見えて来るのではないかと思う。いや、むしろそれが求められているのではないかとさえ、最近になってより強く意識するようになった。でももしかしたら、そんな気持は、ただ一人で空回りしてるだけのことかもしれないが、しつこく言い続ける気持ちを失いたくないと思っている。

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