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還流独歩

扉と引戸 その2 2011.08.07

ところで、扉と引戸について検索してみると、私とほぼ同様の意見を唱えている人がいることがわかった。しかも「扉」で隔てられた空間は「室」であり、「引戸」で囲われた部屋は「間」であると指摘している。まさにその通りだと思う。例えば「客室」と「客間」では違う。「引戸」は「間」をつくる機能を有しているに違いない。

扉は「閉じること」が優先であり、引戸がつくる「間」というのは「適度なつながり」を生み出すのだろう。言い換えれば、多くの方が指摘しているように、日本古来の住宅は、この「間」がつながって構成されているのである。どのような開き具合にもできる引戸は適度な風の道をつくり、空間をつなげ、住宅が大きな器へと広がるのだ。

そして通風のことを考えると、日本の両開きの窓も、引戸と同様に考えることができるかもしれない。左右に開くという単純な仕組みは、引戸がつくりだす内側の間と外部環境を適度に結びつけることにつながっているように思う。日本の伝統的な木造建築が持つ、ややもすると中途半端な閉じ方は、独特な気候と絶妙に融合していることがわかる。

話を一つだけドイツに戻すと、この国にはドレーキップという金具技術を駆使した内側に引き倒すことができる窓が、ほとんどの建物に使われている。これも換気や通風を考えた上での類い稀な工業製品の一つだと私は思っている。内開きという文化だからこそ成せる技術であり、この窓と引戸には比較できないほどの違いがあるが、実は根底では同じことなのかもしれない。

扉には扉の良さがあり、引戸には引戸が持つ役割がある。繰り返しになるが、扉は「密の空間」をつくり、引戸は「ほどよい疎の間」を構成する。家族が住まう住宅は、日々の暮らしを繰り返し営む場所であるからこそ、閉めるための扉と、ほどよいつながりを生み出す引戸は、求められる空間の役割に応じて適度に配置されるべきではないかと思う。

家族の絆はデジタルではない。そもそも人間の関係は、「0」と「1」、あるいは「0」と「100」で割り切れるはずもない。いろいろな関係が複雑に絡み合って連続して続くアナログ的なつながりでもある。だからこそ、空間を構成するときには、扉と引戸の役割をしっかりと踏まえるべきであり、そこから家族というかけがえのない関係が生まれて来る気がする。

「扉と引戸」だけで、そんなに難しく考える必要なないのかもしれないけれど、実は意外と大切な視点ではないかと思うのである。

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