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還流独歩

子供と水風呂 2011.08.12

少し涼しい風が抜けるようなった夕暮れ過ぎに、気分転換も兼ねて銭湯に行ったら、第二金曜と第四金曜は「お風呂の日」だそうで、入浴料が100円だった。この日を特には意識していないが、100円というのは採算を度外視した超破格料金だろう。しかも月に二回とは頭が下がる。そのためか、かなり混んでいて、夏休みということもあってか、親子で来ている人も多いようである。

浴場に入ると、小学校の低学年くらいの3人の男の子が、いくつかある浴槽を楽しそうに行き来している。しか〜し、銭湯というのは家庭にあるお風呂の延長ではないし、まして学校のプールでもない。あえてきついことを言わせてもらうと、銭湯は大人が裸で付き合う社交場なのだ。だから子供は大人の陰で静かにしているべきだが、今日はお風呂の日だから許してあげよう。

学生の頃、いつも行く銭湯へ汗を流しに行ったら、水風呂に水が入っていなかった。風呂上がりに番台の顔なじみのお母さんに訊くと、子供がいたずらをして水栓を抜いてしまったのだという。その日は多摩川を散策して、汗だくになって銭湯へとたどり着いたから、是非とも水風呂に入りたかったのに、わずかな贅沢は知らない子供によって打ち砕かれてしまった。その怨念がまだ渦巻いている。

子供というのはなぜか水風呂が大好きで、これまでの経験からいうと、浴場に入って来た大抵の子供たちは、必ずと言って良いほど水風呂に直行する。熱いお湯に浸るのが好きな子供はあまりいないとは思うが、水風呂はもはやプールの感覚なのであろう。銭湯の水風呂はそれほど大きくはない。そこに群がる子供たち。実に鬱陶しいが、心を大きくして見過ごそう。

彼らは、水風呂にしばらく浸かったあと、熱めの湯に恐る恐る入りながら、「足がしびれる〜」と言って喜んでいる。それを端で見るのは微笑ましくもある。おそらく自分もそうだったに違いない。何も目くじらを立てることもないだろう。そんなことに想いを巡らしているうちに、3人の子供たちは、いつの間にか上がってしまったようだ。これで静かになった。

子供が少ない時代だからこそ、気持を大きくして接するべきなのかもしれないと思いつつも、こういう場こそが子供の躾にとって大切ではないかと頑固親父のようなことを考えるようになってしまった自分が少し怖くもある。家を一歩出れば、そこはいろいろな人がいる社会である。だからこそ、互いの気遣いや思いやりが必要になって来る。人のことをとやかくいう前に自分の行動に気をつけよう。

加筆訂正:2011年10月8日(土)

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