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還流独歩

燃える東京と設備のデザイン その2 2011.08.15

太陽が出ている日中は冷房がなくても我慢できるが、夕方以降は冷風を求めたくなってしまう。室内に熱がこもった低温のサウナの中にいる感じなのだ。室温も昼間から2℃ほどしか下がらず、夜でも32℃近い。どこか一つの壁で良いから、20℃くらいまで冷えてくれれば、温熱環境はおそらくかなり改善されるのではないかと思うのだが、そんなことは絶対にあり得ない。もし冷媒が壁一面に広がってくれるなら、その方が涼しさを得られるのではないかとさえ思うのである。

30℃以上の面に囲まれていると、「涼しい風」ではなく、「冷たい壁」が欲しくなるのは私だけだろうか。断熱のない建築を空気で冷やしたり、温めたりする方法は、一番安価な対応方法だが、実は最も非効率で快適性に乏しい設備なのだと思う。日々の食事に大いなる関心を向けるのと同じように、理想的な温熱環境を求めて、我々はもっと貪欲になっても良いはずだ。でもその責任の多くは実は建築の方が負っているではないかとさえ私は思っている。それは被害妄想ではない。

設備設計を行なっていたものの一人として言いたいことがある。涼しさや暖かさを得る方法を設備機器だけに強いること、あるいは意匠設計者が主張するデザインに合わせて設備設計者が適切な解決方法を提案するべきだという考えは、間違っているのではないだろうか。建築と構造のデザインが表裏一体であるように、設備計画、もしくは設備のデザインも同列で扱われるべきものなのだ。それに対して、日々、努力を重ねている方がたくさんいることを私は知っているが、まだまだ少数派ではないだろうか。

設備のデザインとは、奥が深くて、実は意匠や構造と同じくらいに大切なのだ。でも、その重要性を設備設計者が強く主張することは少ない。その理由をここで書き始めると、おそらく長くなるので日を改めるが、私は意匠設計者と設備設計者の、どちらの気持もわかる。そして機械設備と意匠デザインの融合を、建築環境デザインということばで定義付けてしまうと、少なからず奇麗過ぎてしまう嫌いがあることもわかっているのだが、その視点を持ちながら、いつまでも追求し続けて行きたいと熱放射に囲まれた小さな作業場で強く感じている。

そう、もっと気持ちの良い空間に身を置くことを真剣に考えて行こう!

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