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還流独歩

蜘蛛の観察 2011.09.09

先月、天売・焼尻(てうり・やぎしり)島に行ったとき、大きな蜘蛛が巣を張っていたので、しばし観察してみることにした。夕暮れどきの小さな港の脇に建つ作業小屋の屋根から伸びた蜘蛛の巣は、直径が50cm以上もある。蜘蛛が好きだというわけではないが、奇麗に張られた蜘蛛の巣をじっと観察していると、何だか芸術作品のようにさえ見えて来る。どうしてあんなに小さな身体から細い糸を出して、しかも多角形の巣を上手に張ることができるのだろう。本当に不思議で仕方がない。

蜘蛛というのは、獲物が飛んで来そうな風通しの良いところを選んで巣を張ることが多いらしい。蜘蛛に備わった本能とはいえ、そういった場所を見つけることができるというのも、理解し難いくらいの習性である。蜘蛛の巣に昆虫などが引っかかると、獲物が発する振動が中央で待ち構えている蜘蛛のところに伝搬する。まさにネットワークそのものだ。蜘蛛の巣から逃げようと、獲物がもがくときに発生する小刻みな振動を感じると、蜘蛛は一気に獲物に近づくが、揺れ方が異なるような小さな葉などには反応しない。

地面に落ちていた小さい葉っぱを蜘蛛の巣に付け、さらに小枝を使って指で小刻みに回転させると、獲物と同じような振動になる。しばらく様子をみていた蜘蛛は、自分で張った巣にはまったく絡まることなく、瞬時のうちに葉っぱに近づき、抱え込む。そして、その葉っぱを器用に回転させて、何が引っかかったのかを確認し、獲物でないことがわかると、あっさりと捨ててしまう。落すときに、その葉っぱが、また蜘蛛の巣に引っかかると、そこへ行き、巣から完全に取れるまで、捨てる行為を繰り返す。

餌を待っている蜘蛛にとっては、えらく迷惑なことだが、その動きを観察していると、蜘蛛が蜘蛛として進化して来たことが神秘にさえ感じられる。あたり前の話だが、どんな動物や昆虫にだって、習性というものが必ず備わっている。自ら獲物を捕りに行くのもあれば、蜘蛛のように、ひたすらじっと待ち続ける他力本願的なものもいる。口から水を噴き出して獲物を水に落す鉄砲魚や、瞬時のうちに舌を伸ばして獲物を捕らえるカメレオンなどの習性は、もはや芸術の域であり、地球は生物の大サーカス場だとも言える。

人間は最も高等な動物だと言われているが、空を飛ぶことはできないし、魚のように水中で生活することもできない。周囲の環境に合わせて身体の色を変えることなどできないし、蛇のように何か月も食べなくても生きていられるわけでもない。そう考えると、高等に進化して来たという意味を、ふと考えてしまう。二本足で歩行し、手を使って文字を書き、口からはことばを発し、頭で考えて行動する。自分の手や指先をじっと見ていると、人間が、このように進化して来たことも、確かに奇跡に近いような感じさえ受ける。

奇麗な巣を張り、引っかかったものが獲物かどうかを判断し、そうでなければ巣を奇麗に保つために掃除をしてしまうという蜘蛛の習性を観察して以来、生きていることの神秘といったことが何だか妙に気になるようになってしまったのである。

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