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還流独歩

昭和な家 その1 2011.09.11

大学時代の同期が、東京の郊外に庭付きの中古住宅を購入したというので、拝見させてもらうことにした。築35年近い家を改修して住むという。前の所有者が都内へ引越すことになったため、売りに出た物件らしい。そこから先の経緯までは良く知らないが、その同期はこの家を見に来たときに、南側にある庭も含めて気に入ったという。

いわゆる端竿敷地の奥に現れたその家は、まさに昭和という時代を感じさせる住宅であった。外装もさることながら、玄関扉、片方が上り框の上に乗っている靴箱、階段の手摺、建具、内装など、どこを見ても時代を感じさせる。失礼な言い方になってしまうかもしれないが、どこかの田舎に住む祖父母の家のような雰囲気を持っている。

他にも、いまでは絶対につくられることはないと思われる形状をした照明器具が、なかなか良い味を出している。居間の天井にある丸形の蛍光灯を5つ配置したシャンデリア風の照明は、いまではどこで見つけることができるだろうか。玄関の上から吊るされたガラス容器の中にある白熱電球や、和室の四角い照明は昭和そのものである。

そういえばここ数年、昭和という時代が大きく取り沙汰されることが多かったように思う。戦後復興から高度経済成長期にかけての時代は、確かに何がしかの郷愁を与えてくれるように思う。私は昭和という時代の最後の20年間に生まれて、子供から学生になるまで体験した。幼児期の頃の記憶はないが、想い出せる風景には色がついていない気がする。

恥ずかしい話というほどでもないが、テレビが白黒からカラーに切り替わったことを知っている最後の世代だろう。そこからは誰でもが口ずさめる歌謡曲が流れ、いまでも語り継がれている漫画が映像化され、毎週土曜の夜8時から始まる子供向けの生番組は驚異的な視聴率を記録するという、そんな時代だった。要は子供がたくさんいたのだ。

2年ほど住んだ釧路で通っていた小学校は確か一学年が6クラスほどあり、その地区の中学校は各学年とも15クラスという北海道でも有数の超巨大な学校だった。その中学校に進むことはなかったが、ことあるごとに、15クラスが合同で行なう修学旅行が大変だと聞いていた記憶がある。いや、もしかしたら日程を半分に分けて行なっていたかもしれない。

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