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還流独歩

駅の温度 2011.09.14

9月も半ばに入ったというのに、ここ数日、午後の西日がきつい、まさに残暑と呼べる蒸し暑い日が続いている。空を見上げると何となく秋の気配が感じられるものの、夏はまだ終わっていないかのようだ。

ところで、某私鉄の郊外の駅に降り立ったら異常に暑かった。風がないというのもあるが、サウナにいるような熱気を感じるので、試しに放射温度計で屋根や壁の表面温度を測ってみることにした。

南面に緩やかに傾斜している日射の当る屋根は約50℃、同じように日射の当る南面の壁は45℃であった。屋根面までは少し距離があるので、おそらく近づいて測ることができれば、50℃を超えるているかもしれない。

屋外にいるのに、まさに天井と壁からの放射暖房を受けた駅のホームは、何ともいえない強烈な暑さを感じる。電車を待っている人たちも、さかんに扇いだり汗を拭っているから、暑いと感じているのは私だけではなさそうだ。

もし駅の屋根を二重にして、その隙間に空気層をつくれば、おそらく屋根面の温度は下がると思うが、費用は倍近くかかるだろうから、実際にそんな温熱対策を施すことはあり得ないだろう。

こういった駅のホームの上部にかかる屋根は、夏になると巨大な放射暖房器具と化す。これはもはや熱中症発生予備装置であり、建築が引き起こす過熱犯罪とまでは行かないが、それに近いものがあるというのは言い過ぎだろうか。

最近では、ホームに冷暖房装置を備えた待合室のある路線も見受けられる。とにかく暑いから、そういうところがあれば利用させてもらうことが多いのだが、何だか本末転倒のような気がするのは私だけだろうか。

これまで何度も書いて来たように、体感温度は空気の温度だけでは決まらない。四方八方から熱放射という電磁波の一種がつねにやって来ている。この見えない放射の方こそ、実は暑さや寒さに与える影響力は相当なものだ。

人間の目が、もし長波長を見分けられる遠赤外線カメラであれば、身の周りのものが持つ暖かさや冷たさを感知することができるのだが、我々の目は、ごく一部の波長しか目に見えないように進化して来た。

周囲の温熱環境が簡単にわかるような眼鏡式の遠赤外線計測器があったら楽しいと思うが、それがなくても最近は、どこがどの程度の温度なのか、だいたいわかるようになって来たことが、ある意味恐ろしい。

それはともかく、西日を浴びた内側ブラインドの表面温度を測ってみると、35℃は軽く超えてしまう。ドイツの住宅展示場で体験した外付けブラインドは手で触れないくらいの高熱になっていた。

強い日射が物体に当ると吸収されて温度が上がり発熱する。虫眼鏡を使って集熱すれば火を起こすこともできるし、太陽熱で目玉焼きができたりもする。太陽からの熱は侮れないのである。

駅の屋根は調理できるほど熱くはないけれど、人間にとっては十分に暑い。雨よけと日除けの役割を担っている駅の屋根が、暑さを助長しているのを目の当たりにすると、駅舎とはいえ、建築の責任を感じたりしてしまうのである。

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