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還流独歩

古さはつくれない 2011.10.25

普段から、歴史ある建築や、古い建物の価値について、いろいろと考えている。ケルン工科大学で、建築保存と再生に関わる課程を履修していたときに、授業に参加し、課題をこなし、調査したことを発表し、学外で行なわれる修復作業などを行なった。それは確かに勉強になったが、次第にわかってきたことは、なぜ建築を残して行くのかという根本的な考えだった。

日本にも、数多くの歴史建造物があるが、その価値は認められても、一般の人たちが普段の生活の中で触れる建物については、古くなると、その存在が一気に希薄になって行く。住宅、事務所建築、集合住宅のどれをとっても、築30年ほど経つと、解体される運命をたどるものが実に多い。何度も書いているように、土地の価値の方が高いから、造っては壊すことが繰り返されて行く。

ドイツなどうだろうか。戦後の時間もお金もない時期に建てられた安普請の建物は、いまもやや見窄(みすぼ)らしい状態ではあるが、それでも手入れをして使い続けようとしているし、内部の改装や外壁の断熱改修もさかんに行なわれている。もちろん、解体される建物がないかというと、決してそんなことはないのだが、あるものを活かして使い続けるという精神がここにある。

そういったことに触れ続けて来た中で、ドイツや欧州の人たちが古いものを残そうとする意識が高い理由について、自分なりに出た答えが一つある。それは「古さはつくれない」だった。気がついてしまえば、なんということのない、実に単純な結論である。古そうなものは造れるのかもしれないけれど、「時間と歴史を携えた古さ」というのは、どんな建築技術をもってしても再現することなどできない。

その「つくれない古さ」に含まれる数値に表すことのできない価値の大切さを知っているからこそ、そういったものを残そうとする意識が高いのではないかと思う。ドイツから学ぶべきことは、新しい技術や十数年先を見据えた基準だけではない。それらを生み出す背景や、精神、あるいは考え方、意識といったものも含まれるではないだろうか。それを知ったところで、何になるわけでもない。ただ、それは極めて大切なのだ。

「古さはつくれない。つくれないから大切にする」。日本にも「もったいない」ということばある通り、捨てずに、できるだけ長く使うという精神があるはずなのに、なぜか建築の分野では、それが良い方に活かされることなく、「誰にもつくることのできない古さ」は、いとも簡単に消えて行ってしまう気がするのである。この考えは、すべての事例にあてはまるわけではないけれど、一考の余地は十分にあるのではないだろうか。

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