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還流独歩

悲しい知らせ その1 2011.10.27

ちょうど一週間前の木曜日のことである。かつて東京で勤めていた設計事務所の先輩から久しぶりに連絡が来た。メールの件名には「訃報」と書かれている。もしかしたらという嫌な予感は現実となった。亡くなったのは、その当時、部長を務め、最期は常務まで務め上げた上司だった。

10月16日(日)に「上司との電話」と題して書いたが、電話をしたその方は、いわゆる私の直属の上司で、今回亡くなったのは、さらに上の方だった。電話で、その上司が数週間前に入院したと聞いて私は驚いた。様態が良くないらしいという話ではあったものの、11月に帰国したときにお見舞いに行こうと思っていた。その矢先の悲しい知らせである。

亡くなった上司のことを、ここに書くことはかなりためらったけれど、いまの自分があるのも、その方のお陰に他ならない。不謹慎だということも理解しているつもりだ。でも、葬儀には参列できなかったから、故人の冥福を祈る気持を込めて、想い出話を書かせ頂く旨、どうかお許し頂きたい。

私が入社したとき、その上司は数々の仕事を精力的にこなし、そして会社のいろいろなことをまとめ上げていた。1990年の前半は、代表電話にかかって来る電話を取り次ぐ交換台があり、三人の女性が受付と交換手を兼務していた。部署にかかって来る電話は、その交換台から内線で廻って来ていた。20年くらい前の話である。

それからほどなくして、交換台は廃止され、設計部に外線が直接かかるようになったが、その上司あての電話は、交換台があろうかなかろうが、いずれにしろ余りにも多く、入社して数年間、電話番をしていた私は、その本数の多さに辟易したことが何度もあった。その数を記録してみたら、平均して1時間に10本、多いときで15本近くあった。

それくらい数の電話がかかって来る人は、世の中にはたくさんいるだろう。ただ、本人は席にいないことが多いし、5分おきくらいに電話を受けていると、自分の仕事がまったく進まなかった。同期も数人いたし、事務の女性もいたから、すべての電話を受けたわけではないが、伝言を書いて上司の机に置きに行ったら、また電話という状況が続いた。

週に数日ほど自転車通勤をしていた私は、仕事前の着替えなどもあるので、始業開始の45分くらい前には会社に着くようにしていた。早いときには1時間近く前に行っていたが、自転車をこいで汗だくになって自分の机にたどり着くと、その上司あての電話が必ず何本か鳴るという状態だった。無視してもすぐにかかって来るから意味がなかった。

私が入社して5年近くがたったとき、上司は営業部にも机を持ち、そこにいることが多かった。でも、電話は設計部につながるようになっていた。そんなある日、余りにも多い上司あての電話を取るのが嫌になった私は、密かに外線を営業部の机に自動転送にしたことがあった。それはすぐにバレて叱られた。いたずら半分だっただけのことなのだが…。

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