悲しい知らせ その2 2011.10.28
それはともかく、電話を取りまくったお陰で、いろいろな会社のことも少しはわかったし、動いている物件や案件なども頭に入れることができた。かかって来るのは、建設会社、設備工事会社、同業他社、製造会社、建築関連の協会など、本当に幅広かった。仕舞には、重要な電話かどうかも判断できたから、私の判断で対応していたこともあった。
いまにして思えば、その上司は、それなりにいろいろなところを仕切っていたけれど、面倒見がとても良かったこともあって、社内だけでなく、電話の数だけ、社外からも人望の厚い人だったのだろう。私も頼りにしていた面はたくさんあったし、良い意味で、その上司に任せておけば、何でも切り抜けて行けそうな気さえしていた。
入社して数年が経った頃、私よりも先に退職の話を切り出した同期のことを本当に心配していた。逆に私に相談さえ持ちかけるくらいだった。いつだったか自宅に招かれたとき、奥さんが私に「辞めないでね」と釘を刺すくらいだったから、一人の若い社員とはいえ、会社を離れることを聞いて、きっと精神的に辛かったのだろう。そして数年後、私も辞めた。
あまりにも個人的なことを書くのは少し憚(はばか)れるが、私は会社に不満があったわけではない。もちろん、まったくなかったわけではないが、問題は会社ではなく自分自身だった。いずれにしろ、会社を辞めることで、その上司に多大な迷惑をかけたけれど、そのあとも手紙や年賀状のやり取りも続いたし、電話をしたことも何度もあった。
「会社を踏み台にして…」という嫌みも言われたような記憶があるけれど,退職してから10年近く経つというのに、私は性懲りもなく勤めていた会社へ顔を出しに行ったことが何度もあるし、その上司の自宅へ泊りで遊びに行かせてもらったり、いくつかの会社の方が集まった少人数の忘年会にも参加させてもらったこともあった。
数年前のことだろうか。忙しい中、東京の事務所まで足を運んでくれたことをいまでも想い出す。いろいろな話をしたあと、昼飯に蕎麦を一緒に食べた。二人で、たかだか2000円くらいだったと思うが、「ここは私が出しますから」と言うと「そう? 悪いねえ…」と冗談半分に言ってくれたのが昨日のことのようである。
そんないつも大きく包み込んでくれていた、かつての上司が呆気なくいなくなってしまった。人の命の長さとは、いつも不公平で、そしてときに、あまりにもはかな過ぎる。普段はほとんど会うことなどなかったけれど、いまも心のどこかで頼りにしていたからこそ、突然の訃報に心が乱れた。
気持は少しは落ち着いたけれど、それでもお世話になった故人を想うと、一緒に仕事をさせて頂いたことや、退職してからの方が何となくつながりが強くなったことが想い出されて、胸と目頭が自然と熱くなってしまう。また近いうちにお会いして、いろいろと相談に乗ってもらいたいと思っていたのに、もう叶わないのが余りにも残念である。
もっともっと、いろんな話がしたかった。厳しい助言も欲しかったし、これからのこともたくさん語ってみたかった。失礼なことを承知で、敢えて言わせてもらえば、いくら病気とはいえ、そんなに簡単にいなくなるなんて、あまりにも早過ぎですよ、櫻井さん。また一緒に、メシでも食いに行こうって言って下さいよ…。
加筆訂正:2011年11月8日(火)/2012年4月22日(日)