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北海道人会 その1 2011.11.06

11月最初の日曜日、デュッセルドルフで行なわれた「北海道人会」なるものに初めて出席した。ドイツで日本から来た方と交流を持つことなど、これまでほとんどなかったし、そうしたいとも思ったことはなかった。特にケルンは、芸術や音楽など、文化系に携さわる人が多いため、いわゆる横のつながりを求める人が圧倒的に少ないのが特徴である。

私が知っている日本の方は、ある仕事でお会いした方と、年に一度ほど行く日本食料理店を経営する方、あとはいつも航空券の発券でお世話になっている旅行会社の方だろうか。数えても10名などいない。それは人にもよるだろうとは思うけれども、そこが日本人同士の結び付きが強いデュッセルドルフとケルンが大きく違う点の一つであろう。

今回も少しためらったが、「誘われたら断らない」と決めているので、ともかく参加してみることにした。ケルン郊外の自宅から車で来て、私を乗せて行ってくれるというご夫妻とは、4年くらいのお付き合いになるだろうか。二度ほど、ご自宅に招いて頂いて、食事をご馳走になったことがある。

地下鉄に乗って、15分ほどのところにある待合せ場所で迎えの車を待っていると、日本人のご夫妻らしき方が現れた。聞くところによれば、ケルン在住が30年以上で、ご主人はクラシックギター、奥様の方はピアノを教えているという。そんな方がケルンにいるとはまったく知らなかった。程なくして迎えの車が来た。5名でデュッセルドルフに向かう。

通称、日本人通りと呼ばれているインマーマン通りの端にあるイタリア料理店で開かれた北海道人会には、私も含めて19名が参加した。数名の方を除いて、初めてお会いする方ばかりである。最初に自己紹介をするか、名刺を渡そうかと思ったが、あまりにも日本的過ぎるかとためらう気持があったので、少し時間を置くことにした。

在ドイツ暦が45年になるというご夫妻は、その当時、北海道の炭坑に勤めており、渡独した1965年頃は、日本もドイツも石炭の採掘がまださかんな時期だったため、国を越えた炭坑間で国際交流ががあったらしい。その縁でドイツに来たという。詳しくは聞き漏らしたが、そんな歴史があったとはまったく知らなかった。

この会は「北海道人会」だから、全員、もしくはご夫妻のどちらかが北海道生まれの人である。初めての参加だったから、食事が終わって少し時間ができたときに、ごく簡単に自己紹介をさせてもらった。そう、私は札幌出身なのである。そのあとは順次、簡単な挨拶をする時間になり、それぞれがドイツと関わるようになった理由なども伺った。

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