12月の長い夜 その5 2011.12.07
そこで、神戸とウィーンを比較してみると、日の出が40分の差、日の入が約50分の差で、何だかほど良い違いがあることがわかった。そして各都市の東経を見ているうちに気がついたことは、明石が日本の標準時の基準になっているのは、東経135度に位置しているからだということだ。だから日本はイギリスから見ると9時間の時差があるわけだ。そんなことは子供の頃に聞いていたはずなのに、いまようやくまともに理解できた気がする。
これで、札幌の日の入の時刻がケルンよりも30分も早い理由がわかったし、標準時の位置から離れるほど、日の出、日の入の時刻がずれることも改めて納得できた。ところで、良く言われることだが、円を分割する根幹となる360度という数字も実によく考えられた値である。360を除した場合、余りなしで商が求まる数値である約数は、1、2、3、4、5、6、8、9、10、12、15、18、20、24、30、36、40、45、60、72、90、120、180、360で、24もある。すごい数字だ。
そう考えると、時間という概念が、地球の動きと連動し、極めて密接な関係にあることが改めて浮き彫りになってくる。時間の歴史を紐解くと気が遠くなりそうなので止めておくが、一日はなぜ36時間ではなく、24時間なのだろうかという疑問も沸いて来る。1日が36時間なら、半日は18時間となる。これだと細か過ぎて、太陽の動きをうまく捉えられなかったからだろうか。
さらに一年を約360日と考えると、これも360度と関係がありそうだ。月の満ち欠けは、だいたい28日くらいで元に戻ることは、遥か昔からわかっていただろう。それを大雑把に30日として12回繰り返すと、誤差はあるものの、360日後には同じような季節が毎年やって来る。他にも、古代バビロニアの計算法が60進法だったことと関係があるという説もあるから、その頃には、時間の概念ができ上がっていたようだ。
ともかく地球は休みなく回っていて、毎日、朝には日が出て、夕方には日が暮れるのだ。それは、これからもほぼ永遠に続いて行くのだろう。ただ、北極圏や南極圏は、夏や冬になると例外が出てしまうということなのだ。それにしても、ここ数日、夜になると、日の出、日の入の時間を調べて、やけに頭を使ってしまった。しかも時間という概念が、足し算をしたり引き算したりするには不便だということも再認識できた。
最後にまとめるとすれば、地球というのは適度な速度で回っていて、それに合わせた時間の考え方が生まれたというのは、とても神秘的なことだと、つくづく思うのである。