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還流独歩

暖かさと健康 その3 2011.12.10

外部環境からの光や日射、あるいは風といった働きかけを室内をほど良く導き入れて、冷暖房や照明としての役割を持たせることができる建物はパッシブ建築と呼ばれている。その中に住まう人は、建物に備わった基本的な機能を意識しながら、暑さ寒さに関して、 受動的ではなく、むしろ能動的に関わることが求められる。

それに対して、何でもお膳立てされた住まいというのは、逆に家とのつながりが希薄になってしまうのかもしれない。それは人によって異なるのだとは思うが、完璧な住まいなどないという前提に立てば、温度や照度が均一で変化のないことや、いわゆる維持管理が不要なことが、必ずしも最善の答えかというと、そうではないかもしれないとさえ思えて来る。

我々が朝起きて、顔を洗い、歯を磨いて身だしなみに気をつけることや、あるいはお風呂に入ることは、身体を清潔に保つための維持管理に他ならない。それを怠る人はあまりいないはずだ。車なら、走行距離に応じてオイルを交換し、タイヤのすり減りを確認したりする必要がある。建築も同じなのだ。維持管理が不要な建物など一つもない。

21世紀に入って10年が過ぎ、「豊かな住まい」ではなく、「豊かな暮らし」がより求められている。それは住まい手が何もしなくても快適性を生み出してくれるものではなく、豊かさは積極的に住空間と関わって行くことで得られるのではないかとさえ思えて来る。与えられた環境に単に馴染むのではなく、働きかけが大事なのだ。

話が散漫になってしまったが、大平さんのコラムに登場した女性は、新居での暮らしが、いままでとは比較にならないくらいに暖かいからこそ、その恵まれた環境と、うまく付き合えていないのだろう。住まい手の積極的な活動を誘発し、思考が発展する中で行動がより促進されることが、豊かな暮らしへつながるように思う。

何もしないで済むような自動制御が完璧な空間も大切だとは思うけれど、それが人間の知覚や行動に移すことを鈍くさせてしまう面があるという立場に立てば、人がもっと建築や温熱環境、あるいは視環境に関わって行くべきだ。住まいと、そこに住まう人の関係は一対一の同等であり、相互作用が必要なのだと思う。

このコラムで、大平さんが、次のように締めくくっている。「便利で快適な家に住む場合は、電気や設備に頼らず、できるだけ自分が動くような暮らし方をして、”少し不便”にするくらいがちょうどいいのだ」。つまり、ほどほどの環境で、人間が適度に動いて、住まいとつきあう。そんなことが、きっと大切な視点ではないかと改めて感じているところである。
 
加筆訂正:2011年12月10日(土) 文章が切れてしまっている箇所も含めて加筆訂正致しました。

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