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還流独歩

そして姫路へ その1 2011.12.24

東京に戻ったのも束の間、なぜか関西方面に行くことになった。そう言うと誰かから頼まれたから移動するように受取られるかもしれないが、そう決めたのは何のことはない私自身である。わずか1時間だけ寝て、3時に起き、朝7時ちょうどの羽田発の伊丹空港行きに乗る。今日は年末の三連休の谷間だが、都内を抜けてきた地下鉄には意外と人が乗っていた。伊丹空港には定刻に到着である。そして今日の目的地は、さらに西に移動した姫路。なぜに兵庫県の姫路へ行くのかについては大した理由はないのだが、極めて重大な個人情報なので秘密にしておこう。

伊丹空港から姫路駅までは高速バスが出ているが、電車を乗り継いだ方が少し安い。所要時間はバスの方がやや早いが、ほとんど知らない街で、行き先もよくわからないまま、何度か乗り換えるということを体験してみることにした。モノレールに乗り、蛍池で何とか線に乗り換えて十三(じゅうそう)まで行く。そこから1号線というのに乗って神戸の新開地まで乗車だ。阪急電車では、路線のことを「号線」と呼ぶらしい。初めて知った気がする。何だか高速道路みたいだが、意外とわかりやすいかもしれない。今日は雲一つない快晴である。厚着をしてきたので電車の中にいると少し暑い。

それにしても、なぜ阪急電車の車体は茶色なのだろうか。車内も木目の内装を使いつつ、座席はなぜか濃い緑色である。落ち着いた雰囲気がないこともないが、この微妙な色使いは、どこからやって来たのか疑問だ。そんなことを考えている間に、電車は新開地に着いた。そこから山陽電車の特急で姫路へ向かう。特急なのに神戸から一時間もかかるらしい。電車は、途中から海岸に近くなったり、国道沿に走ったりしながら西へ向かう。昼前に着いた姫路駅前は、大規模な再開発が行なわれている。その反対側を向くと、姫路城を包む巨大な仮囲いが目に入る。

宿泊先に荷物を預かってもらい、天台宗別格総本山である書寫山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)へ向かう。なぜ姫路に行くのかという理由は伏せておこうと書いておきながら、行き先を書いてしまえば、もはや秘密でも何でもない。今年の夏は、愛媛県の日土小学校を訪れて、近代木造建築に触れたこともあり、年の最後には、やはり伝統的な日本建築に触れる機会つくりたいと思ったからである。また、明日は神戸で打合せがあるのだが、降誕祭の三連休ということも影響し、神戸市内で手頃な金額の宿泊先が見つからなかったので、さらに西の姫路を目指すことにしたのである。

書寫山(しょしゃざん)には、円教寺に昇るためのローウウェーがあるものの、今月初旬からちょうど今日まで総合点検のため運休だという。そこで思い切って歩いて登ることにした。観光案内所の方から手書きの案内図をもらい、43番のバスでの登り口まで行く。そこからが大変だった。「東坂」と呼ばれるこの道は、遊歩道を少しきつくした程度なのかと思っていたら、実は剥き出しになった急勾配の岩盤状の階段が長く続く尾根づたいの山道だったのである。下から上がると、「一丁」「二丁」という目印が現れる。次第に暑くなって来たので上着を脱ぐ。それでも額から汗が吹き出て来る。

さらに途中で、もう一枚脱ぐが、今度は寒過ぎる。今日は気温が低く、尾根を抜ける風が身体に当ると異常に寒い。つまり、暑さと寒さが同時に体験できる不思議な温感状態なのだ。外は極寒なのに、身体からは汗が出るという冬山登山のようなことを体験しつつ、約30分ほどで、ロープウェイの終点まで登った。ロープウェイが運休ということもあって、ほとんど人がいない。登山道でも、一組のご夫婦と、上から下りて来る男性二名とすれ違っただけだった。そして少し歩くと、圓教寺の境内に入った。そしてここから広大な敷地内に点在する建築を見て回る。
 
加筆訂正:2012年1月4日(水)
  
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