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姫路城の保存修理 その3 2011.12.28

また、塗り壁の仕上げまでには、6段階の工程があることもわかった。木壁の内側には、桟木を施し、そこには縄が巻き付けられている。これによって、塗り土に強度を持たせることができる。また桟木も新しいものは使わず、この修理工事のときに中から出て来たものを、そのまま再利用するという。現代の建築で言えば、改修の際に、壁を壊したときに出てくる鉄筋やコンクリートをもう一度使うことと同じであろう。果たしてそんなことができるだろうか。当時の建物と、いまの建築を一概に比較することには無理があるが、現代建築は再利用という面で、大きな問題を抱えている。

7階を見終えて、1階へと下りる。ここにも修理内容を紹介した模型や展示があり、姫路城が持つ奥深さを詳細に伝えてくれている。素屋根と呼ばれる仮囲いの中の展示は、いずれも手の込んだものが多く、失礼な表現になってしまうが、仮設にしては良く考えられているように思う。もちろん、その一つ一つをじっくり見たわけではないものの、修理が終われば解体するわけだから、できるだけお金をかけずに、安普請で済ませようとしがちだが、そんな雰囲気がまったく感じられない。それが、この修理見学施設を訪れる価値を、さらに高めているように思う。外に出ると、まだ寒風が吹き荒れていた。

そのあと城内を散策する。高低差のあるところにつくられた白壁は、微妙に折れ曲がりながら、美しく展開して行く。白壁の下をくぐると、今度はまた違う景色が現れた。実に奥行きのある光景だと思いつつ、石段を下りながら振り返ると、大天守の手前にある二つの小さな天守が見えた。下から見ると石段が奇麗に上に向かい、少し折れ曲がった左右の白壁に吸い込まれて行く。その先に美しく聳える天守。この構成が実に素晴らしい。そこにいた係の人が、時代劇などに関わる映像関係者の多くが、ここからの眺めを絶賛し、重要な撮影には必ず使われる場所だと言う。

ここは「はの門東方」と呼ばれ、城内でも特に絵になる絶景の場所であったのだ。そこに気づくとは、私の目も節穴ではなかった…というよりも、ここは写真に納めておきたいと誰もが思うくらいに、その構成がよく考えられた美しい一角なのである。これを見て、さらに姫路城が好きになってしまった。実に単純である。それにしても、この場所が、実際にこのようにでき上がることを想像して、意図的につくられたものだとしたら、空間を把握する能力には類い稀なものがあるだろう。その当時、築城に携わった人たちは、一体、どんなことを考えていたのだろうか。叶うことなら、訊いてみたいと思うのである。

最後に、将軍徳川秀忠長女である千姫が過ごした「西の丸」にある「百間廊下」を通り抜け、最後に化粧櫓を見て姫路城を後にする。気温は低いけれども、何だか気持が温かくなった。それと同時に、次の修理が50年後だとしたら、おそらく私は生きてはいないだろうし、もし存命だとしても、ここに来ることなどできない可能性は非常に大きい。つまり、今回の改修工事を見ることができるのは、自分のいまの年齢を考えると、おそらく一回限りであろう。人生において二回目はないということなど多々あると思うが、今回に限っては、何だか感慨深いものを感じてしまう。

それと同時に、この修理工事に携わる人たちもまた同じであろう。生きている間に、国宝の修復という極めて希有で貴重な機会を得たことは十分に誇れることだと思う。次の50年後に、どのような形で修理が行なわれるかは、現時点では何もわからないにせよ、姫路城の歴史に実際に関われることに対し、羨ましく感じるだけでなく、もしできることなら、私も作業に加わってみたいとさえ思う。もちろん、そんなことなど叶わないけれども、今回、偶然にも、姫路城の保存修理工事を見ることができただけでも本当に幸運に違いない。
 


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