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還流独歩

ロマンスカー 2012.01.09

子供の頃に何度も読んでいた本の中に、ロマンスカーが出ていたのを覚えている。言うまでもなく、小田急線の新宿と箱根湯本を結ぶ特急列車のことだ。最近は千代田線にも乗り入れるようになったそのロマンスカーは、特色ある日本の電車を紹介した何かの絵本か、あるいは子供向けの写真集のような本に掲載されていたのだと思う。

幼心に、このロマンスカーがとても気になった。そんな特色のある電車は北海道には走っていないからだ。あるとすれば、線路に積もった雪を吹き飛ばすラッセル車とかではないだろうか。地味な電車だから、おそらく線路を点検する黄色い車両といった特別な電車と同じところに載っていた可能性はかなり大きいだろう。

その本には、ロマンスカーが魅力的に描かれていた。帽子をかぶった少年が両親に連れられて、これからロマンスカーに乗るような絵が載っていた記憶がある。ロマンスカーに乗ってみたいと思ったかどうかまでは覚えていないが、日本のどこかには、素敵な電車が走っているのだという程度のことは感じたと思う。

その本を見なくなってから、ロマンスカーのことは程なくして忘れてしまった。というより記憶から消え去ったのだ。想い出したのは東京に出て来たときである。東京近郊に住んでいる人にとっては何ということもないと思うが、子供の頃に読んだ本の中にあったロマンスカーが、実際に走っている電車だと改めて気づいたときは、多少の驚きであった。

でも、子供の頃に何気なく思い描いていたことが、大人になって現実のものとなると、意外と冷めた目で見てしまうということはないだろうか。それはロマンスカーに魅力がないという意味ではない。昔の淡い憧れのようなものが、大人になってからは何か特別なことではなく、ごく普通なこととして捉えてしまう傾向があるように思うのだ。

ロマンスカーに罪はない。あるとすれば、ときの流れとともに薄れ行く感受性の方だろうか。そして、実際に乗ったことがあるのは、わずか一度しかないと思う。しかし、その記憶がまったくない。誰と一緒だったかさえも想い出せないのだ。ただ幸運にも運転席を見せてもらえたことだけは覚えている。そんなことはいまや無理かもしれない。

そしていま、小田急電鉄の関係者の方には大変に失礼だが、いまはロマンスカーに対して特別な思い入れというものがない。通過電車として目の前を通り過ぎるだけの存在になってしまった。しかも急いでいるときに限って先を越されたりする。それでも時折、ふと昔に読んだ本に出ていた記憶の引出しが開くときがある。

もはや叶うことなどないが、絵本を見ていた子供の頃に、ロマンスカーに乗ってみたかったと思ったりするのである。

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