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還流独歩

事務所建築 その2 2012.01.15

それらの条件には、ドイツの最近の事務所ビルで求められている昼光利用や自然換気といった環境からの働きかけを建物にほど良く導き入れることで、室内の光や温熱環境を調整するといった建築的手法を追求する姿勢はほとんど見られない。ドイツの建物のすべてがそうだとは言い切れないが、求められているものの根底からして異なるのだ。ドイツで環境建築と呼ばれる建物をいくつも見て来たが、その基本となる根本的なことを日本の事務所ビルに応用しようすることには、かなりの無理があるのではないかとさえ思う。さらに言い換えれば、思想が違うとでも言おうか。

「事務所ビル」と「事務所建築」の違いを定義付けすることが意義あるものなのかに対する疑問は抱えつつも、日本において「事務所ビル」と呼ばれる建物は、ただの「建造物」なってはいやしないだろうか。しかも「物」がつくと、ただ、単にそこにあれば良いというような、無味乾燥とした印象を受ける。あるいは、そこに建っていれさえすれば良いという感じさえ漂って来る。さらに付け加えると、「建造物」ではなく、「建築物」と言い換えても同じ印象を受けてしまうような気がするのである。

一方、「建築」という二文字の場合、その響きの良さに引きずられるのか、そこには建物に対する愛情というものが、わずかでも含まれて来るのではないかと思う。「建築物」ということばから「物」を取ることによって、逆に「物」という形だけでなく、それを超えた、もう一つ違う次元の概念が加わるように感じられるのだ。「建築」というものを必要以上に美化するわけではないが、特に建築の設計を行なう者は、建築物という「物」をつくるのではなく、そこには形以外の何がしかの理念や情熱が込められていなければならないはずだ。果たして自分はどうであろうか。

自分もかつて設備設計者として組織事務所にいた頃のことを想い出してみる。当時の意匠設計担当者に対して、大変に失礼な言い方になってしまうことを承知で敢えて言わせてもらうなら、自分が携わっていた物件は「建築」と呼べるような建物だっただろうか。いまにして改めて思い返してみると、「建築」からは程遠かったのではないかというのが正直な答えになってしまうかもしれない。そう感じるのはなぜなのだろう。決して質の悪い建物を設計したわけでもなく、それなりの時間と思考と体力と情熱を注ぎ込んでいたはずだ。でも「建築」ではなかった気がするのだ。

建築の設計を行なっていると、一般的に「設計事務所」と呼ばれることが多い。実際、「設計」という名称を掲げている事務所はたくさん存在しているが、正式には「一級建築士事務所」という名称がつくように、そこには「設計」ではなく、「建築」ということばが入っている。協会という組織の名称を引き合いに出すと、「建築士事務所協会」であり、「設計事務所協会」ではない。設計を行なう者は、「建築」に携わっているのである。だから、「建築」をつくっていかなければならないと改めて強く感じる。日々、そのための努力を私はしているだろうか。

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