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還流独歩

雪も太陽もない冬 2012.03.03

ドイツで初めての年越しを経験した1998年から1999年にかけて、この国の冬がどういうものであるが、ようやくわかった。札幌出身の私は、冬になるとドイツも春になるまで雪に覆われるものだとばかり思っていたが、つねに雪を目にするのは標高の高い地域だけで、基本的には、北海道や東北、あるいは日本海側のような大雪に見舞われることが、ほとんどないということが逆に新鮮だった。そのあと長年に亘って住むことになったケルンは、降雪が極めて少ない地域であり、特に北ドイツは、北海を流れる暖流の影響もあって、冬でも雪がないまま春を迎えるときが多いことも知った。

何度か書いたように、ドイツでの冬を初めて体験したときに最も辛かったことは、太陽が見えないことだった。寒さは着るもので調整できるが、太陽の出加減は自分ではどうすることもできない。どこからともなくやって来た分厚い雲に毎日覆われる空を見上げながら、どうしてこうなるものかと、下らない疑問を自分に投げかけつつ、先の見えないことに塞ぎ込んだこともかなりあった。それと同時に、ドイツの人たちが明るさを執拗に求める理由が少しずつわかって来た。ガラスを多用した建築を見るたびに、暗い冬をいかにして明るく過ごせる空間が、いかに大切かを身をもって体験した。

日本はアジアの国である。もちろん、太陽の有難みを感じつつも、亜寒帯の北海道や北東北を除けば、夏の猛暑と付き合わなければならない気候区分に属している。だから中間期を含む大抵の期間において、ドイツの人ほど太陽を必要をしてはいない一面はあると思う。その一方で、冬は意外と寒くて、何らの暖房を必要とする地域が大半であり、ましてや、毎日、お風呂に入る週間のある国民である。真冬に太陽がほどんど顔を出さないドイツが、太陽光発電と太陽熱利用に邁進していて、どちらも世界の最先端を行っているのに、日本はいまだ躊躇している面があるように思う。

日本にも、冬には曇天が続く日本海側特有の気候があるが、ドイツの暗い冬を体験すると、太陽に恵まれている地域が多い日本は、もう少し工夫をしても良いのではないかと思ったりする。だからこそ、太陽光発電が注目されているのだが、大きな視点に立てば、最先端の技術を活かしつつ、建築的技術による日射の直接的な利用も極めて大切ではないかと思う。自然からの働きかけを、技術を介して利用するのか、それとも直接使うのかの違いなのだが、そのどちらも適度に融合できるとすれば、それがこれから求められるあろう相応しい組合わせなのかもしれない。

加筆訂正:2012年3月7日(水)

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