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還流独歩

設備のない建築 その2 2012.03.22

もし、そういった設備を、どうしても隠し通したいのであれば、先述のように、エアコンに頼らずとも、ほどほどの快適な環境を建築の力だけで実現する努力をすべきであろう。それを棚に上げて、断熱もせず、単に意匠的な格好良さだけを追い求め、設備が意匠を台無しにするという貧困な思考回路を優先し、「格好悪さ」の責任を設備だけに押し付け、そして、その技術をも否定的に捉えるとしたら、設備というものに対して、とても失礼なことだと思う。

私が某設計事務所に入社したとき、「設備のない建築が一番良い建築だ」というような生意気なことを言っていた。多分、周りの人は、私のことをかなり変な人間だと思っただろう。でも、その気持はいまも変わらない。もちろん、私にも、設備がまったくない建築をつくることはできないけれど、そういう気概を持って設計に取り組みたいし、そうすべきだとも真剣に考えている。設備などなくても快適に暮らせるなら、それが一番に決まっているのではないだろうか。

四季がいくら巡ろうとも、夏はあまり暑くなく、冬も寒さを感じず、換気扇がなくても適度な空気の入れ替えができ、化石燃料を消費しなくてもお湯が沸き、夜になっても電力を使うことなく適度な明るさが確保できるのなら、こんな最高なことはない。逆にそんな素敵な建築がもしあるなら、是非、見てみたいと思う。いや、もしかしたら、どこかにあるのかもしれないし、それを実現しようと孤軍奮闘している人たちもいるのだと思う。

もう20年も前のことだが、大学を卒業し、大手ゼネコンの現場に配属された同期が、珍しく憤慨していたことがあった。「設備みたいな汚いものを、こんな目立つところに配置して…」。そう意匠設計者から言われたらしい。それが設備の何だったか忘れたが、おそらく給排気用のベントキャップか、ガラリだったはずだ。「人間の顔に、鼻や耳の穴は要らないのかよ! 設備的なものを汚いなんていう奴は、もともとデザインする力なんかないんだ!」。同期はそう言って怒り狂っていた。

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